川島ブログ 

コミュニケーション能力に関するブログを書いています。筆者は元引きこもり、ニート、現在はダイレクトコミュニケーションの講師をしている川島達史です。

対人恐怖症克服期119 会社員編 对不起の威力

対人恐怖症克服期119 会社員編 对不起の威力

 

引きこもりから脱出して、私はどうにか就職先を見つけました。ある日、社長から突然中国へ行ってこい!という指令を受け上海へ出張しました。広州の事務所のチュンリーこと陳さんから銀行に一緒に行こう!と言われついて行くと、ザンギエフ似の男性に睨まれるという危機的状況に陥りました。

 

 

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陳さんが油を注いだ甲斐もあり、ザンギさんは、好戦的な姿勢をお持ちでいらっしゃいました。私が近づくと、指を刺して、顔を真っ赤にしてまくし立ててきます。

 

 

・对不起

このままではスクリュードライバーを食らい、三国志で言うところの呉の国の大地に突き刺さり、歴史に名を残すことになる!と感じた私は、出発前に復習した中国語を必死で思い出しました。そしてある重要なキーワードを思い出したのです。

 

 

それは

トイブーチー(对不起)

です!

 

トイブーチーとは日本人が一生の間で、一番発言する頻度が多い言葉です。すなわち

ごめんなさい!!

という意味です。

 

とりあえず「ごめんなさい」を使っておけば、大概のピンチは乗り越えられると日本人はDNAレベルで刷り込まれています。この時、私はこの日本という国で磨き上げられた、ワールドクラスの謝罪スキルを中国の方々にご覧にいれて存じ上げよう。と決心を固めました。

 

 

そこでザンギエフに睨まれた私は、

 

トイブーチー!!

トイブーチー!!

トイブーチー!!

 

と全力で連呼しました。

 

 

・ザンギ攻撃色が和らぐ

ザンギさんに何か言い返されているのはわかるのですが、とにかく私は神妙な面持ちでトイブーチーを連発しました。するとザンギさんの顔からナウシカがオウムの攻撃色を解いた蟲笛のごとく、真っ赤な顔色が段々と元の色に戻って行ったのです。

 

正直、あっけに取られてしまったのですが、どうもこの对不起という中国語は、中国の方にとってとても意味が大きいらしく、本当に悪いと思っているときだけ使う言葉のようだったのです。中国語にはいくつか謝罪の言葉があるのですが、对不起は最上級のような言葉だったのです。

 

 

・ザンギ列を譲ってくれる

 ひたすら一流の謝罪をし続ける私に骨抜きにされたザンギは次第に笑顔になってきました。すると信じられないことに、銀行の窓口を譲ってくれたのです。

 

 

ええ!!マジっすか、そんなの全然求めてないんですけど・・・

 

 

と言いたいのですが、適切な中国語を作ることができません。私がモジモジ苦笑いをしていると陳さんは当然よ!と言わんばかりにさっさと窓口で手続きをはじめてしまったのです。

 

 

ザンギさんが怒ることは当然ですし、むしろそれでも許してくれたことは懐が深いと思います。むしろ陳さんにカルチャーショックを受けましたね。この推進力と言いますか、自分の目的のためには手段を選ばず前に進んでいく感じと言いますか。いい意味でも悪い意味でも陳さんのハートの強さを感じました。

 

 

・中国出張で学んだこと

このように私は13年前の高度成長期の中国で、現地の中国人と実際に仕事をするという貴重な体験をすることができました。中国の方の印象は、激しく、言いたいことはがんがん言うというお国柄でした。倫理的にちょっとおかしいこともあるのですが、それでもどこか居心地のよい感覚がありました。

 

中国の方は自分がどう見られているかを気にしていない。これがいいか悪いかは議論の余地はあります。ただ、周りの目を気にして、窮屈な思いをしていた当時の私にとっては新鮮な環境でした。

 

もっと書きたいことがたくさんあるのですが、ブログを先に進めて行きたいと思います。

 

 

・異変が起こる

就職してから1年半ほどは、社長の経営の手伝い、海外出張、マナーを叩き込まれるという充実した時間を過ごしていました。この時期は、心が安定していたので心理学の勉強も減っていて、経営学や会計学、語学の勉強が中心になっていました。

 

しかし、ある異変が社内の中で起こり始めました。それは、私の中で一生忘れられない出来事になります。そしてその事件から半年後、私は起業を決意して会社を辞めることになるのです。

 

 

 

 

 

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当ブログでは、日常のコミュニケーションのコラムや対人恐怖の克服体験、起業について執筆中です。対人恐怖の克服について興味がある方は参考にして頂けると幸いです。

 

・軽度対人恐怖時代    1~32

・引きこもりピークに   33~56

・フリーター時代     57~82

・2年間の会社員時代   83~128

 

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対人恐怖症克服期118 会社員編 陳さんのスーパーワープ

対人恐怖症克服期118 会社員編 陳さんのスーパーワープ

 

引きこもりから脱出して、私はどうにか就職先を見つけました。ある日、社長から突然中国へ行ってこい!という指令を受け上海へ出張しました。広州の事務所に勤務しているとある日、チュンリーこと陳さんから銀行に一緒に行こう!と言われついて行くことにしました。

 

 

・中国の銀行

中国の銀行は日本のようにお姉さんが直接対応してくれるのではなく、ガラス越しに対応してくれるスタイルになっていました。パチンコ屋の換金所みたいなイメージです。おそらく防犯上のことだと思います。

 

銀行につくと日本のそれと同じように非常に混雑していました。20人ぐらいは並んでいたと思います。

 

ありゃあ・・・こりゃ時間かかるなあ・・・

 

とひと目でわかります。ただその中国の列というのはなんですよね。一応並ぶは並ぶのですが、みんな雑然とならんでいるので、どこから列なのかわからない感じになっていました。

 

 

・陳さんのスーパワープ

(混んでますね・・・って中国語でなんて言うのかなあ~)と思っていたところ、横にいたはずの陳さんがいません。陳さんどこにいっちゃったのかなあ~と周りをきょろきょろ見渡してみました。

 

 

すると信じられない光景を身にしました。

 

 

なんと陳さんは20人の列を完全に無視して、ディズニーランドのファストパスのごとく、直接窓口にスーパーワープしたのです。あまりにも堂々と進んで行くので、もしかした中国では大口の取引先とかは大丈夫なのかなあ~と眺めていました。

 

 

・ザンギエフ現れる

するとその陳さんが窓口に突入して話始めるや否や、窓口の近くにいた大柄なザンギエフのような男性がキレ始めました。

 

 

       っファイ!!

 

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「嘿!这他妈的女人!」(おい!このクソ女!)

「以下是我的!很快序列能够重新!」(次は俺の番だ!さっさと並びなおせ!)

 

 

正確には聞き取れなかったのですが大体こんな感じのやり取りをはじめたのです。10メートルぐらい後方にいた私は、

 

 

(そりゃそうだ・・・陳さんに並びなおすように諭そう・・・)

 

と思って歩いて向かおうとすると、なんと陳さんは逆切れしはじめたのです。

 

 

「吵!我带来了日本人!不要说小气的味道!」

 (うるさい!私は日本人を連れてきているんだ!

 けち臭いことを言っているんじゃないわよ!)

 

 

こんな感じのことをやりとりしはじめたのです。

なぜか陳さんは

 

リーベンレン(日本人)

リーベンレン(日本人)

 

 

を連呼し、私の方を指さすのです!!

 

 

あ・・・あの陳さん・・・ザンギエフさんに

僕の存在をアピールしないでもらえますか・・・?

 

 

と狼狽しているとザンギエフがキっと私をにらんだのです。

 

 

 

 

 

 

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・2年間の会社員時代   83~128

 

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対人恐怖症克服期117 会社員編 まじめなリーベンレン

対人恐怖症克服期117 まじめなリーベンレン

 

 引きこもりから脱出して、私はどうにか就職先を見つけました。ある日、社長から突然中国へ行ってこい!という指令を受け上海へ出張しました。上海では王さん達とひたすら遊び続け、ダメ人間と化しました。そしてダメ人間モードを継続しつつ、次の出張先である広州に到着しました。

 

・陳さんとの出会い

広州は中国の中でも南の方にある都市です。沖縄よりも南にある都市なので、上海に比べてかなり暖かいです。陽気な雰囲気が町全体にあふれていました。

 

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広州で私の世話をしてくれたのは、陳さんでした。陳さんは私とほぼ同い年で、英語と日本語が堪能な女性でした。中国版、キャリアウーマンという雰囲気が溢れていました。

 

陳さんはスト2のチュンリーに似ていてかわいかったですね。同年代の陳さんが担当になるという圧倒的僥倖により私の心も南国化していきました。

  

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 *カプコン ストリートファイト2より

 

 

・近代的オフィスに到着

陳さんに連れられ広州事務所に到着すると、これぞオフィス!という雰囲気のある近代的な事務所に案内されました。上海事務所の廃墟感に比べ、とても豪華な事務所だったのです。クラクラしてしまいました。

 

事務所には全部で6名ほどいました。全員寄りすぐりの人材であると社長から聞かされていました。中にはMBAの資格を持っている方もいました。 6人の従業員はそれぞれ仕事に活動的に取り組んでいました。

 

さすがの私も上海のようなダメ人間であり続けることは難しそうでした。そこで広州事務所についた私は、心を入れ替えてまじめなリーベンレン(日本人)になることを決意したのです。

 

・信頼できる中国人

まずは陳さんにお願いして中国の会計システムなどを調べることにしました。わかったことは、以下の点でした。

 

*日本人は社長になることができない 

*中国人の社長を雇う必要がある

*信頼できる人を社長にしないとヤバイ

*お金の管理が杜撰

 

中国で仕事をする上では、信頼できる中国人の社長を捜すというのが絶対条件となります。この広州事務所も馬さんという中国人が法律上のオーナーで、間接的に日本の会社が経営しているという状況になっていました。

 

法律上のオーナである馬さんはやりたい放題できる環境にあります。なんせ会社の全権限を持っているのです。やろうと思えばお金を持ち逃げしたり、会社を乗っ取ってしまうことも可能です。

 

実際、私が広州事務所の帳簿を確認したところ、あやしい取引がいくつかありました。社長はこの辺を非常に心配していました。私は広州事務所にいる間、本社との会計上の監査がうまくいくようにすることと、陳さんにお願いして帳簿をこちらに送ってチェックする仕組みを創っていきました。

 

 

 ・陳さんと銀行デート

そんな形で私はまじめなリーベンレンとして仕事をしはじめ、実際中国の会社の仕組みを知るのも面白くて、精力的に仕事をするようになっていました。

 

 

そんなある日のことです・・・

 

 

陳さんが

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「チュアンダオ(川島)・・・今外出する時間ありますか?」

 

と私に質問をしてきました。まじめな仕事ぶりを見た陳さんが、私を好きになり、デートに誘ってくれたのだ・・・と私は脊髄反射しました。

 

「えっ?もちろん大丈夫ですよ。どこに行くんですか?」

 

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「銀行に行きたいので、ついて来てほしいのです」

 

と言われました。私は陳さんも恥ずかしがり屋だなあ~。銀行なんて一人で行けるのに。

 

きっと銀行を口実にデートだな!デート!デート!と*ポジティブ心理学な私は、

 

「OKですよ!一緒にいきましょう」

 

 

と陳さんと銀行デートをする決意を固めたのです。ウキウキと支度をして、早速陳さんと2人で歩いて銀行に向かいました。

 

しかしものの15分後・・・

 

銀行デートを激しく後悔する事件に巻き込まれるとは想像もしていませんでした。

 

 

 

 

 

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*ポジティブ心理学

1998アメリカ心学会会長 マーティン・セリグマン教授が基礎を固めた理論

幸福なことに目を向ける 夢をもつことを大事にせよという 理論

幸福感が高い人は病気になりにくく、収入が高いなどの統計もある

  

 

 

 

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・軽度対人恐怖時代    1~32

・引きこもりピークに   33~56

・フリーター時代     57~82

・2年間の会社員時代   83~128

 

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対人恐怖症克服期116 会社員編 終わらないカンペイ

対人恐怖症克服期116 会社員編 終わらないカンペイ

 

 引きこもりから脱出して、私はどうにか就職先を見つけました。ある日、社長から突然中国へ行ってこい!という指令を受け上海へ出張しました。出張先のオフィスで現地社員の王さんと談笑していると、何かが見えました、

 

私が問いただすと

王さんは「私の彼女のパンツです」と力強く宣言したのです。

 

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*闘将ラーメンマン8巻

 

どうやら王さんは警備?も含め上海事務所に寝泊まりしていたようです。そして彼女をオフィスの隣の部屋に連れ込むようになったようなのです。

 

 

・罪悪感ゼロ

王さんも年頃の男子です。彼女と過ごしたい気持ちは私もわかります。しかし、彼女の下着がひらひらと見える状態で、堂々として王さんの姿にはさすがにカルチャーショックを受けました。

 

さらには王さんは罪悪感ゼロ!むしろドヤ顔で伝えてくるのです!まるで僕はモテんだぞ!と言わんばかりです。

 

私は社長から問題があったら報告するように・・・とも言われていました。しかし、目の前にいる純粋な目をした屈託のない王さんを責める気にもなれません。

 

リーベンレン(日本人)特有の「和」を尊ぶ精神がむくむくと沸き起こります。私は日本人。八百万(やおよろず)の神様があらゆるものに宿っているという国の民です。

 

きっとそのパンツにも神様が宿っている、これは大自然の一部なのだと受け入れてしまいました。

 

 

・仕事ゼロな上海事務所

さて、上海事務所には1週間ほどいたのですが、何をしていたのかというと、ほぼ何もしていませんでした。というのも、上海の事務所はまだ立ち上げたばかりで、仕事がほとんどなかったのです。

  

上海事務所で、扱っている商品はとても高額でした。年に3回ぐらい取引してしまえば、3人の中国人が遊んでくられせて、さらには日本にも充分な利益が残るぐらいのビジネスモデルを社長が創っていたのです。

 

上海事務所はその恩恵を丸々受け取る形になっていました。社長としては王さんたちに営業するように伝えていたようですが、ほぼ何もしていませんでしたね。

 

 

 ・仕事は与えられるものである

 私には仕事は与えられるものではなく、創るものという座右の銘あります。この行動原理によれば私は上海事務所を改革すべく仕事を創るべきだったのですが、1日目にして都合よく忘れてしまい、ほぼ何もしないで王さんたちと遊び呆けることになります。

 (http://d.hatena.ne.jp/kawa-direct/20091102 *仕事は与えられるものではなく創るものである)

 

 

 上海事務所には1週間程度いました。よく連れて行ってもらったのが、近くにあった居酒屋でした。当時の私は飲み会が大嫌いでした。嫌いを越えて恐怖でした。日本人同士の飲み会は気を使って緊張してしまい、全く楽しくなかったのです。

 

しかし、王さんたちとの居酒屋での話はとても面白かったです。特に言葉がイマイチ伝わらないというのは逆に気を使わなくて良いので、不安がありませんでした。中国人特有の、気遣い無用?な精神がとても新鮮で純粋に楽しむことができました。

 

海外に行くと一時的に対人不安が軽減する現象は実は結構よく起こります。この辺の心理的な解釈はそのうちブログに書きたいと思います。

 

 

・「カンペイ」デスループ

中国の方の飲み会のルールは

「カンペイ」

と言ったら紹興酒を飲み干さなくてはならないというルールになっていました。空になるとまた注がれて、また飲み干すという行為を繰り返していました。

 

カンペイデスループです。ひどい時は王さんの彼女とその友達とかも加わって大宴会になっていました。私はお酒にめちゃくちゃ弱いので、2回ぐらい死にかけました。

 

そしてちゃっかりしていることに王さんたちの飲み会代は会社の経費になっていました。一応経理っぽい感じで社長がお金を預けていたのですが、まあ杜撰でしたね。。

 

私も何度か奢らされました。。

 

 

上海事務所は1週間滞在して、事務所で雑談、王さんたちと観光、飲み会だけでほぼ終わりました。まじで何をしにいったんだ!という感じです。

 

 

たまに上司の有賀さんから

「上海はどう?」

と聞かれたら

 

「メイウエンティー メイウエンティー っす!(問題ない)

 経理の帳簿の流れなどをみています」

 

 

とひたすらごまかしていました。社長は社長で忙しいらしくほぼ放置でしたので私はノンストレスで王さんたちと毎日遊んで暮らしていました。

 

 上海での桃源郷を味わっていた私ですが、人生とは残酷なもので、いよいよ次の出張先である広州に向かうことになりました。

 

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 王さんたちとの交流が名残惜しく、私も上海事務所で一生暮らしたかったのですが、そうもいきません。広州までは飛行機で、向かいました。そして広州でも再び強烈なカルチャーショックを受けることになるのです!

 

 

 つづく

 

 

 

 

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・フリーター時代     57~82

・2年間の会社員時代   83~128

 

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対人恐怖症克服期115 会社員編 王さんの彼女のパンツ

対人恐怖症克服期115 会社員編 王さんの彼女のパンツ

 

 引きこもりから脱出して、私はどうにか就職先を見つけました。経営についての知識が役に立ち、重要度の高い仕事を任されはじめました。そしてある日、社長から突然中国へ行ってこい!という指令をもらったのです。

 

 

・高度成長期の上海

私が上海に降り立ったのは、たしか2004年頃だったと思います。

 

当時、

 

中国のGDPは160兆円ぐらい

日本が430兆円ぐらい

 

でした。

 

 

人口が10倍もいるのに、大体1/3ぐらいしかGDPがない時代だったのです。「日本人1人雇う代金で優秀な中国人を10人雇うことができる」が社長の口癖でした。しかし、成長速度がすさまじい時代でした。

 

 

特に上海は高層ビルが立ちまくっていました。上海から子会社に向かうバスの中から外をみると、新宿の高層ビル群のような景色が長々と続いていました。外観だけは東京よりも発展しているように見えたかもしれません。

 

 

・王さんのファーストインプレッション

バスは上海の都心に進んでいきました。事務所がある場所の近くで降りると、現地で世話をしてくれる王さんが待っていてくれました。王さんは私とほぼ同い年の丸顔の男性でした。日本語検定2級?を持っていたので最低限の日本語を話してくれました。

 

男同士の同い年というのはそれだけでも幾分か警戒心が取れるものです。さらに王さんは人相がたいそうよく、好々としています。はじめての海外出張でピンチに陥っていた私にとってラーメンマンが迎えに来てくれたように見えました。

 

 

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*闘将ラーメンマン12巻より 

 

 

・中国の町並み

事務所まで会話をしながら進んでいきました。そこで感じたことは、やはりまだまだ中国は発展途上な国なんだということです。バスから見た眺めと違い、少し大通りから外れるだけで、薄暗く、服装がぼろぼろな方が多かったのです。

 

スーツを着ている人なんていませんでした。襟付きのワイシャツを着ている人もほとんどいなかったように記憶しています。ファッションというより、生きるための服を着ている。そんな印象がありました。

 

しかし、活気だけは日本の3倍ぐらいありました。上野のアメ横のような雰囲気でしょうか。よくも悪くも、活きている、生活している、必死さのようなものを町並みから感じました。

 

 

・事務所の雰囲気

そしてしばらく上海の町を歩くと、いよいよ上海事務所に到着しました。一般的な日本の事務所では、10階建てぐらいのビルの1室に、電子機器がたくさんあるというイメージがあります。

 

しかし、上海事務所のそれは、薄暗い団地の一角のような場所にあり、会社感ゼロの雰囲気がありました。こんなとこに会社あるのかよ!というような雰囲気です。

 

そうして、団地の一室にある上海事務所(?)に入ると、さすがに部屋の中には、PCやFAXといった見なれたものがおいてありました。上海事務所には全部で5部屋ぐらいあったのですが、1室だけは会社ぽい雰囲気がありました。

 

 

・幻?事務所から何かが見える

事務所には王さんの他に2名ほど従業員がいました。いずれも男性で20代の若い社員でした。到着すると、王さんが出してくれたお茶を飲みながら、他の社員と談笑していました。

 

しかしそのオフィスから、別の部屋のドアが開いているのですが、何か違和感のあるものが見えました。それは、タオルでもなく、ハンカチでもない、しかし、どこかで見覚えのあるような、なつかしい、母なる大地のようなが見えるのです。

 

会話をしながらひらひらと動くそのが気になり、私は会話に集中できなくなっていきました。

 

 

そこで私は王さんに

 

「あれはなんですか?」

 

と指をさして質問をしました

 

 

すると王さんは

ニヤリ

とわらいました。

 

 

 

「あれは私の彼女のパンツです」

  

 

という日本人男子でも一生に一度言うか言わないかという日本語を、中国という異国の地で王さんは格調高く炸裂させたのです。

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

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対人恐怖症克服期114 会社員編 オールC判定がアダとなる

対人恐怖症克服期114 会社員編 オールC判定がアダとなる

 

引きこもりから脱出して、私はどうにか就職先をみつけました。経営についての知識が役にたち、重要度の高い仕事を任されはじめました。そしてある日、社長から突然中国へ行ってこい!という指令をもらったのです。

 

 

・社長の指令

詳しく社長の指令を整理すると

 

*上海支店の経営状況を見てこい

*広州支店の経営状況を見てこい

*〇〇で✖✖してこい←秘密保持で言えない。。

 

 

というものでした。

 

 

当日の中国は、まだ高度成長期に入りたての時期で、今ほど大きな国ではありませんでした。しかし、丁度製造業が中国進出し始めている時期で、私もその流れを経験することになったのです。

 

 

・オールC判定

 私は大学で第2外国語として中国語を選考していました。しかし、会計学ばかり勉強していたので、4年間オールC判定(Dは落第)という快挙(?)を達成していました。

 

オールC判定はオールAよりも遥かに難しいと個人的に考えています。A判定はむっちゃ勉強すれば取ることができます。しかし、C判定は、勉強しすぎても、しなさすぎてもいけないのです。

 

この絶妙なさじ加減を4年間続けるというのは非常に難しいのです。

 

私は大学は卒業できればOKと考えていたので、A判定を取るのはむしろ燃費が悪いと思っていました。結果的に全てオールC判定を達成した私は成績表を見てほくそ笑んでいました。完全に間違った達成感です。

 

 

 

・中国語を1カ月 勉強する

しかし、運命の神様はそういった姑息な手段をちゃんと見ているものです。私は、実際に中国語を使う会社に入ってしまい、オールC判定で卒業したことを後悔しはじめました。

 

改めて中国語のレベルを確認したところ、C判定どころかほとんど忘れてしまっていることが判明しました。

 

 

例えば

1から10まではなんとか中国語で

言えるのですが11以降が言えないのです。

 

よくこんなんでC判定取れたなあ・・・

 

 

と自分に関心してしまいました。そこで、私はせめて挨拶ぐらいはできるようになりたいと中国語を即席で勉強しはじめました。なんとか、最低限の中国語だけは覚えましたが、1カ月では仕事になるレベルになることはできませんでした。

 

 

・語学力0で中国に突っ込む

出張は基本的に全て1人で行くことになりました。現地の会社員ともやりとりしなくてはなりません。英語も中国語も挨拶ぐらいしかできないのに、1人で突入して大丈夫なのか?かなり心配でした。

 

 

しかし、人生は嫌が王にも進んでいきます。

私はついに上海に降り立ちました。

 

 

 そうして13年前の中国で様々な

カルチャーショックに遭遇することになるのです。

 

 

 つづく

 

 

 

 

 

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対人恐怖症克服期113  会社員編 対人恐怖の回復に必要なもの

対人恐怖症克服期113  会社員編 認められていることが嬉しい

 

 引きこもりから脱出して、私はどうにか就職先をみつけました。配属先は社長の目の前でした。最初はうまくやっていけるか不安で仕方がありませんでした。しかし、経営についての知識が役にたち、重要度の高い仕事を任されはじめました。

 

 

・資金繰りという時限爆弾

会社の代表的な指標には、

 

損益計算書

資産表

キャッシュフロー計算書

 

の3つがあります。この3つが大事ですよ!と会計の教科書などでは習うわけです。しかし、実際の経営というのは、もっと大事な指標があるのです。

 

 

それは

資金繰り管理表

です。

 

 

資金繰り管理表というのは、会社の命の指標と言っても良いかもしれません。なんせ会社はお金がなくなってしまうと、途端に倒産してしまうからです。経営者にとって資金繰は「いつ爆発するかわからない時限爆弾」を抱えているようなものなのです。

 

 

・計算間違え=致命傷

そんな重要性の高い資金繰について 

 

 

「川島くん~資金繰り管理表今月からお願いね」

 

 

と社長が突然宣言したのです。

 

任された瞬間、

 

 

(まじかよ~やべえ~)

 

 

と不安しかありませんでした。それから私は独立するまで、資金繰り管理表を創らされ続け、本当に計算が合っているのか?間違っていたら会社潰れないだろうか?とドキドキしながら毎月過ごすようになったのです。

 

 

(ちなみに、24歳の頃に独立した後に、資金繰りには散々悩まされました。何度か地獄を見ることになります。この話はまた起業編で書こうとおもいます。)

 

 

・充実感を得る

このように私は会社の重要な仕事をいくつも任されるようになっていきました。プレッシャーはとても大きかったです。その一方で

 

「認められている」

 

という感覚を全身で感じるようになっていました。過去を振り返ると、会社に入社するまで、「認められている」という感覚を思春期からほとんど感じていなかったように感じます。

 

自分というものを主張したこともなく、主張もしないですから、受け止めてもらうこともなく、頼りにされることがなかったのです。

 

自分が社会と繋がっている感覚がなかったのです。

 

言うならば 

僕なんて社会にいなくてもいい存在なんだ

 

 

という感覚です。この感覚があるときは本当に心がつらい状態になります。孤独感と殺伐した心に支配され、他者への攻撃性、自分への攻撃性、社会への攻撃性が極限まで高くなっていました。

 

 

・対人恐怖の回復に必要なもの

しかし、社長から肯定的なストロークを毎日もらうことで、次第に心を開き、対人恐怖の症状は和らいでいました。高校生の頃から勉強してきた経営に関する知識をはじめて受け止めてくれる存在。そして実際に重要な仕事を任せて頼ってくれる。

 

 

「僕は社会に認められている、存在していてもいいんだ」

 

そんな感覚を強く持つようになってきました。人から認められたり、関わることがどれだけ人生に重要な意味を持つのかを体感しました。

 

認知療法などで心のあり方を安定させること

適度に練習して具体的に関わる練習をすること

現実的に人との肯定的な関わりを体験すること

 

この3つがとても大事なんだと体感的に理解したのです。

 

 

・突然の中国出張

そうして、会社入後、1年ぐらい立つと、私は銀行との取引や、手形決済、経営指標の作成など、本格的に社長の手伝いをするようになっていました。

 

そんなある日 社長が突然私に新しい仕事を言い始めました

 

 

「川島くん~川島くんも

 そろそろ中国行ったほうがいいね。

 来月、出張してね」

 

 

 

 中国。。中国って、三国志の中国ですよね。

当時の私には、中国と言えば、三国志の中国と、

キン肉マンのラーメンマンのイメージぐらいしかありませんでした。

 

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そして私は今から13年ほど前の、高度成長期に入り始めた中国に出張することになるのです。ラーメンマンに会いに!!!

 

 

 

 

 

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