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川島ブログ 

コミュニケーション能力に関するブログを書いています。筆者は元引きこもり、ニート、現在はダイレクトコミュニケーションの講師をしている川島達史です。

対人恐怖症克服期12  反抗期 父との会話は3年間で5分

対人恐怖症克服期

対人恐怖症克服期12   反抗期 父との会話は3年間で5分

 

 

・父親への反抗期がはじまる

受験を意識し始める高2の頃、将来について考えるようになっていました。私の通っていた男子校は偏差値でいうと50前後のごくごく平均的な男子校でした。いわゆるFランクの大学もエスカレータ式についていました。内部進学率は6割、2割は他大を受験、残りの2割は専門学校、フリーター、もしくは働くという選択をする学校でした。

 

私の兄は東大生、父親は早稲田大学、母親は日本女子大。いわゆる高学歴家庭でした。私は無意識のうちに偏差値の高い大学の受験をしなくてはならないのだろうと感じていました。

 

そこで(半分は女の子目的で)三鷹にある塾に通わせてもらいました。しかし、塾に入って勉強する環境を整えたものの、大学受験はどこか他人事のような気がしていました。

 

 

「良い大学に入って良い会社に就職する」

 

 

このシンプルかつ誰しもが一度は疑問に思う命題について、私もまた深く悩みました。もし仮に、この命題について肯定的な確信のようなものを持つことができれば、高校時代、私はもう少し勉強できたと思います。しかし、私の中でこの命題について、疑いを持ってしまいました。結果としてほとんど勉強しないまま卒業してしまうことになります。

 

 

・反抗期の確信 サラリーマン=苦しい生活?

私が確信を持てなかった理由として父親の影響がありました。父親は誰もが知る大手の会社に勤め、昇進も同期の中でも出世頭でした。いわゆる昭和の典型的なモーレツサラリーマンでした。

 

朝早く会社に出社して帰宅するのは日付が変わる頃。仕事、仕事、仕事・・・有休もほとんど取らず身を粉にして働く父親。父親は仕事で疲れているのか家庭の中ではほとんど話をしませんでした。たまに食事をしても自分から話すことはほとんどありませんでした。父親が口を開くときのほとんどが叱る時だけです。

 

 

そんな父親を見て私は

 

勉強する ⇒良い大学に入る ⇒大手の会社に入る ⇒苦しい生活

 

というイメージしか持つことができませんでした。目の前にある勉強は恐ろしい未来へ向かうプロセスにしか感じなかったのです。

 

 

・父親と距離を取るようになる

私は反抗期を迎え、父親と段々と距離を取るようになりました。父親なりに愛情は注いでいたと思うのですが、父もまたとても不器用なのです。当時の私はそんな繊細さを感じ取る余裕はありませんでした。私は父親の存在が日に日に鬱陶しくなってきました。

 

自分から声を掛けることもなく、父もまた絶望的に子供との接し方が下手くそでした。私は様々なアイデアを駆使してできる限り父親と距離を取り、高校3年間で合計5分しか会話をしないという成果を達成したのです。

 

 

 

 

 

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当ブログでは、日常のコミュニケーションのコラムや対人恐怖の克服体験、起業について執筆中です。対人恐怖の克服について興味がある方は参考にして頂けると幸いです。

 

・軽度対人恐怖時代    1~32

・引きこもりピークに   33~56

・フリーター時代     57~82

・2年間の会社員時代   83~128

 

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