川島ブログ 

コミュニケーション能力に関するブログを書いています。筆者は元引きこもり、ニート、現在はダイレクトコミュニケーションの講師をしている川島達史です。

対人恐怖症克服期14 半分は逃げるため-独立を意識

対人恐怖症克服期14 半分は逃げるため-独立を意識

 

 

・町で生き生きと働く人達

父親への反抗期は高校時代ずっと続きました。勉強する=父親のようになるというイメージを強く持った私は勉強に全く身が入らない日々を過ごしました。代わりに、これからどう生きていけば良いのか?と考えるようになっていました。

 

当時私は小平市に住んでいました。駅前の商店街には、昔からある八百屋やクリーニング屋、個人経営のお店がたくさんありました。学校帰りに八百屋の前を通ると、ガラガラ声の店主が声を張り上げています。

 

お店には走り回っているオヤジの娘がいました。娘は商売を邪魔してオヤジにちょっかいを出します。オヤジは文句を言いながらも嬉しそうに抱っこしていました。また、近所の主婦から好かれているようで、冗談を言い合ったり、世間話をしていました。 

 

お世辞にもその八百屋はもうかっているという感じではありませんでした。しかし、そして近所の主婦と冗談を言い合い、娘が足にかきついているオヤジの表情はとてもにこやかでした。

 

目の前にいるちょっと小汚いオヤジが、私にとってとはても現実的で、血肉化された生々しい生き方をしていると感じたのです。

 

 私はこの時から、「自分で仕事をする」ということに興味と憧れを持つようになりました。

 

 

・半分は逃げるための口実

 ただこれは言い訳の面もありました。というのも塾に通い始めた私は全くと言っていいほど勉強をしませんでした。そのため成績がめちゃめちゃ悪かったのです。学校の授業も半分ぐらいは寝て過ごしていました。ノートも一切、取らなかったので、中間試験の前に野崎君からノートを借りて(野崎君ありがとう)コピーをしてそれを一夜漬けで勉強してなんとか赤点だけは凌ぐというような生活をしていました。

 

 塾ではさすがに授業中は寝ていませんでしたが、「早く終わらないかな~」と思いながら鼻くそをほじりながら、上の空で受けていました。予習・復習は全てスルーしていました。当然成績は上がるはずもなく、パッとしない成績となっていました。河合塾の全国模試とかでも偏差値50ぐらいを漂流していたことを覚えています。

 

偏差値50近辺を漂流する私は家族に対しての劣等感を持つようになっていました。高学歴の家族からすると、私はどう考えても駄馬でした。そんな劣等感も蓄積し、私はますます自分が嫌いになっていきました。

 

成績が上がらず、勉強にモチベーションを見いだせなかった私は、それとはなにかお手軽な別の対象を探していました。自営業という生き方をアイデンティティに取り込むことで、体勢を保とうとしたのだと思います。自営業に憧れていたのは事実ですが、最初は勉強ができない劣等感をなんとか紛らわすためだったのです。

 

それから高校生にも関わらず

私は経営学の勉強を少しずつ始めることになります。

 

 

 

 

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当ブログでは、日常のコミュニケーションのコラムや対人恐怖の克服体験、起業について執筆中です。対人恐怖の克服について興味がある方は参考にして頂けると幸いです。

 

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