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川島ブログ 

コミュニケーション能力に関するブログを書いています。筆者は元引きこもり、ニート、現在はダイレクトコミュニケーションの講師をしている川島達史です。

対人恐怖症克服期37  屋根裏部屋へ追い込まれる

対人恐怖症克服期

対人恐怖症克服期37  屋根裏部屋へ追い込まれる

 

 

 

・行動範囲がどんどん狭くなる

 

大学四年の冬。私はもう、雀荘へ行くことすら嫌になってしまいました。行き場所を失い、せいぜい町を徘徊するぐらいです。

 

ずっと地元で暮らしていたため、駅に行くと知り合いに合ってしまう可能性があります。知り合いに会ってしまうというのは対人恐怖の症状が出ている人間にとって大変な苦痛です。行動範囲はどんどん狭くなり、電車に乗ることが減ってきました。

 

昼ぐらいに起きるとせいぜいコンビニぐらいに出かけて立ち読みをして、公園を目的もなく徘徊して、古本屋に立ち寄る。そして家に帰ると3階の屋根裏部屋に閉じこもるようになりました。しまいには、段々とコンビニに行くことすら億劫になっていきました。

 

 

・親戚が来るという知らせ

 

引きこもりが始まったある日、鳥取に住む親戚がうちに遊びに来るという知らせを受けました。容姿が変貌し、やつれた顔で、就職活動もしていない、会話にならない自分をとてもではないですが晒すわけにはいきませんでした。親戚とあって雑談をすることなど拷問に等しいことだったのです。親戚が嫌いということではなく、醜い自分を晒したくないという一心です。

 

母親に親戚が家に来ることを告げられると、私は「絶対に会わない」と宣言をしました。母親は「会わないたって・・・」と呆気に取られていました。母親はそうは言ってもなんだかんだ親戚が来れば会うに違いないと考えていたのかもしれません。しかし、私は「絶対に会わない」「僕は出かけていると伝えてくれ」と、強い口調で母親に念を押しました。

 

 

・ふとんにくるまり怯える

 

ついに・・・当日親戚がきました。母親が高い声で迎えているのが分かります。私は気配を悟られたくないためになるべく、足音を立てず、ふとんにくるまって息を潜めていました。1階では懐かしい叔母の声が小さく聞こえてきました。健康な時は楽しく会話ができたのに、とてもではないですがそんな気分になることはできませんでした。

 

 

私はついに屋根裏部屋から降りてくることはありませんでした。

 

 

目的を完全に見失い、日々の生活に意味を見いだせなくなっていきました。人生というものを疑い始めました。家族との会話も嫌になってきました。家族がいる1階のリビングに行くことも嫌になってきました。終いには家族とすれ違う可能性のあるトイレに行くことすら心と身体が拒否し始めたのです。

 

 

 

 

 

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当ブログでは、日常のコミュニケーションのコラムや対人恐怖の克服体験、起業について執筆中です。対人恐怖の克服について興味がある方は参考にして頂けると幸いです。

 

・軽度対人恐怖時代    1~32

・引きこもりピークに   33~56

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・2年間の会社員時代   83~128

 

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