コミュニケーション能力-講座の軌跡126 会社員編 父の壁
引きこもりから脱出し、就職することができた私は、サラリーマン生活を送っていました。サラリーマン生活がもうすぐ2年になろうとしたとき、自問自答を繰り返し、ついに独立する決心を決めました。
・プランは白紙
独立する際、一般的には業種を決め、ある程度見通しがついてから退職する方が多いと思います。しかし、私はギリギリの環境に自らを賭すことで、考え抜いて業種を決めたいと考えました。そのため、プランは白紙のまま、会社を辞める決心を固めたのです。
・絶対に守る決め事
ただ、業種は決まっていないものの、決め事はありました。それは以下の5つでした。
・一生の仕事とすること
・人生を賭ける価値のあること
・正業であり、人の役に立つこと
・システムがもたらす業種ではないこと (川島の経営感)
・短期的な分野ではなく、長期的な視点で 考える
この5つを満たす分野で独立することを決めていました。後は会社を辞めて、じっくり考えようとしました。
・父親への報告
さて・・・独立することは決まったものの、私にはさっそく越えなくてはならない、壁がありました。それは父親へ説明するということでした。当時の私はまだ実家暮らしでした。起業するとは言っても、プランも決まっていないのですから無職と紙一重なようなものです。
父親には散々迷惑をかけてきました。学生の頃は財布からお金を盗んで麻雀をしていました(コミュニケーション能力-講座の軌跡21 父親の財布から1万円を盗んで麻雀)
学費を散々投資してくれたのに結果を残すことができませんでした。挙句の果てに引きこもりになってしまい、3階から降りてくることができなくなりました。
それでも、自宅から追い出すでもなく、哲学的なことを考える時間を与えてくれました。私は特に「考える時間」を与えてくれた父親に感謝していました。不本意な息子だったかもしれませんが、私なりに筋は通したかったのです。
・息子がバグった
父親は勤続35年のサラリーマンでした。初めに努めた会社に勤め上げ、出世も早かった人間です。完璧主義で、曲がったことが嫌いな父親。だらしない姿を息子に見せることはほとんどありませんでした。
そんな父親に、「起業プランはない」という大馬鹿な息子の主張が通るわけがありません。さらに経ったの2年で会社を辞めると言うのです。やっと社会人になった息子が再びニート宣言をするようなものです。父親からすれば、息子がバグってしまったと・・・絶望するレベルの出来事だと思います。
・父親の書斎は恐怖の扉
ある日、書斎に父親がいることがわかりました。父親の書斎は私にとって家の中で一番緊張する場所でした。野球部時、鬼コーチがいる顧問室に入るような感覚がありました。
私は森田療法を思い出し、恐怖突入をしようと心に決めました。そして、満を持して書斎をノックしました。父親は低い声で、
「はいはい・・・」
と答えました。私が部屋に入ると、父親は背を向けたままでした。
「おとうさん・・・話があるんだけど・・・」
私は恐る恐る父親に声をかけました。
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