コミュニケーション能力-講座の軌跡80 過度の自責
コミュニケーション能力-講座の軌跡80 過度の自責
・自分を一方的に責めてしまう
引きこもりからテレアポと喫茶店のアルバイトを始めた私ですが、精神的に追い詰められてしまい、喫茶店のアルバイトは辞めることになってしまいました。喫茶店のアルバイトを辞めてからは、しばらく落ち込みました。人間関係の挫折に対する免疫がなかったのです。
回復に役立ったのが認知療法の過度の自責という考え方でした。過度の自責とは、責任の所在を全て自分に当てはめてします心の癖を意味します。私はアルバイトをやめた当初徹底的に自分を責め続けてしまっていました。
「社会不適合者」「責任逃れ」「心が弱い」
「僕が悪い」「僕が悪い」「僕が悪い」
と責め続けてしまっていたのです。
・過度の自責は問題に蓋をしてしまう
しかし、そうして自分を責め続けても、何かが好転することはありませんでした。むしろ「幸せな人生を歩む(人との関わりに幸せがある)」という当初の目標からどんどん離れてしまうような気がしました。
このとき、認知療法は「過度の自責」は良いことがないからやめなさい!と教えてくれました。もちろん、責任が私にあることは間違いありません。しかし、人間関係はお互い様の面があります。私は店長から一度も褒められたことがなく、暖かい言葉をかけられることのない皿洗いを灼熱の環境の中、8時間もさせられていたのです。
レジ打ちやフロアの案内をする社交的で煌びやかな学生たちに比べ、私は明らかに喫茶店カースト制度の下層に位置していました。そういった時間を8時間過ごすことは恐怖そのものだったのです。
認知療法では視野を狭く、「自分が悪い」で済まさずに、冷静にさまざまな視点から振り返ることを大事にしています。もしかしたら、そういった職場環境を作ってきた店長を超えた経営陣にも、問題のいったんはあるではないかと考えるようになりました。
・頭を冷やす
こういった考えを持つことはどこか、倫理的に正しくないようにも思えます。「自分が悪い」で済ませてしまえば、それ以上考えなくて済むからです。しかし、そういった考えを単純に白黒で結論付ける癖をつけてしまうと、柔軟性を失ってしまうのです。
「すべて自分が悪い」では、環境と自分という2つの関係性を改めて考えることができません。それでは現実的な改善策を発想することはできないのです。また、過度の自責は下手をすれば、誰かがミスをしたときに、過度の他責にもつながってしまうおそれがあります。
私は引きこもっていた時も認知療法を行っていましたが、現実の社会に出てからも様々な場面で使うようになっていきました。そうして知識だけではなく、体感的に効果を実感できるようになっていきました。
実社会に出てから様々な挫折を繰り返し落ち込みながらも、だんだんと心理的に回復する術を学習していきました。そうして心理療法や会話の練習を繰り返していくとうれしい出来事が起こりました。
それは「ゆるい友人 石井君」との出会いです。
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