コミュニケーション能力コラム5 イデア論 歌舞伎揚げ たまごボーロと経済・コミュニケーションの関係
最近新宿教室を和室で開催することが多くなっています。初参加の方が、「え!こんなところでやるの?」っとリアクションをされることが多いです。個人的には和室は自然と緊張感が取れるのでわりと気に入っているんですけどね。
(和室に3時間座ってだんだん腰が痛くなってきている生徒さん達)
さてさて!前回までコミュニケーションと情報の関係について解説をしてきました。今回は「歌舞伎揚げ たまごボーロと経済・コミュニケーションの関係」について解説していきます。
わけのわからない題名ですね。ちゃんと解説できるのか?既に不安になっています。
・イデア論とはなにか?
いきなり哲学の話になりますが、紀元前400年ぐらいにプラトンという学者がいました。プラトンという学者は「この世の中がどのように成り立っているのか」ということを深く考えた学者です。
その中でプラトンは「イデア論」を提唱しました。イデア論とは「物事には真実となる形がある」とする考え方です。抽象的な表現ですね。
例えば、女性は日々鏡に向かって自分の美を追求しています。ただ(?!めっちゃ失礼ですが)大抵の女性が自分の美が完璧になったとは考えていないでしょう。ニキビができた。ちょっとしわができた。もっと自分は美しくなれる。もっと美しい私がどこかにあるのではないか?そう考え努力を続けていきます。
・ タマゴボーロと歌舞伎揚げ
女性の美のイデアはなかなか達成されないですが(ほんとすいません)、経済社会の中ではイデアが達成されることがよくあります。例えば、卵ボーロというお菓子があります。卵ボーロは私が生まれたころからあったお菓子ですが、何一つ変化していません。卵ボーロというお菓子はおそらく1000年経ってもおそらく同じ形と味をしているでしょう。
同じく歌舞伎揚げというお菓子があります。歌舞伎揚げも、もはや、やりつくした感があります。これ以上、もはや修正すべき点が見当たりません。そういう意味で歌舞伎揚げも真実の姿に到達したと言って良いでしょう。
こうした情報として完成されたものを私は勝手に「イデア化した情報」と読んでいます。ワラスの法則によって導き出されたアイデアは選別されて、社会的なフィルターを通して、イデア化していきます。そしてイデア化すると、もはやその分野についてやることがなくなっていくのです。
電卓、スプーン、フォーク、あんこ、しょうゆ、わりばし、これらはもうイデア化されているでしょう。物理的な情報だけなく、あいいうえお という日本語も、もう変化しないと思うのでイデア化されています。
ラーメ、自動車、飛行機、ピザ、ファッション・・・これらはまだまだ変化していきそうです。例えばラーメンの概念はどんどん変化していますね。どう収束するのか予想もつきません。まだまだイデア化したとは言えないでしょう。
次回はイデア化された情報と豊かさについて書いていきます。
(果たして私は誰に向かってコラムを書いているのか?!自分でもわかりません!そのうち対人コミュニケーションのコラムも書き始めますので、暇つぶしに読んでやってください~)