コミュニケーション能力コラム12 コミュニケーション能力と個性の関係4
前回までにコミュニケーション能力と個性の関係について書いてきました。
ここまでの内容をまとめると
・ネギはそのまま食べるとマズイ
・たぬきうどんに入れるとおいしい
・おいしくなる現象を交互作用と言う
(コラム1)
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・個性があるからこそ人間の社会は豊かになる
・個性をしっかり残す
・自分のキャラクターを愛する
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・個性はそのままでは社会に受け入れられないことがある
・ありのままの私を受け入れて!は「子供」
・個性の形を変えられるようになるのが「大人」
今回はこの続きです。川島の独断的な理論で、検証不可能な内容を書きます。あくまで仮説です。話半分ぐらいで、斜め読みしてください。
・強烈な肯定体験
私たちはあかちゃんの時、「ありのままの自分」を親から受け入れてもらって育ちました。ウンチをたれながしても、こどばを喋れなくても、どんなに泣きじゃくっても、お母さんが察してくれて、ありのままの姿を肯定してくれたのです。
それはとてもとても強烈な体験です。もっとも幸福な瞬間であったと言っても良いかもしれません。私たちはありのままの自分が受け入れられることが、心底気持ち良いことを覚えてしまっているのです。
・ありのまま幻想
それはコミュニケーションにおいて、幸福な出来事でもあり、試練のはじまりでもあります。なぜならありのままを受け入れてくれるのはお母さんとお父さんだけであることをなかなか理解できないからです。
社会は様々な人が様々な人生を体験し、それぞれ別々の価値観を持っています。それぞれがそれぞれの権利や感情を持っていて、自分だけに100%注目してくれることなどありません。
しかし、私経ちは、体感的に「ありのままの自分を受け入れてくれた感覚」を持っているのです。またあの幸福感を味わいたい・・・それをどこかで期待してしまいます。私はこれを
「ありのままを受けてくれる人、どこかにいるんじゃないか幻想」
と呼んでいます。ありのままの自分を認めてくれるひとがどこかにいるのではないか?そう考え、本当の私をわかってくれる人が現れるまで、探し続けてしまうのです。
・相手を変える癖は要注意
恋愛で付き合う人を頻繁に変える
所属するコミュニティをころころ変える
仕事を数か月単位で変える
受け入れられないときにとても不安になる
自分の要求が通らないときにイライラする
こんな状況がずっと続いていたらちょっと注意が必要です。
だからと言って、自分らしくあってはならないということではありません。
「ありのままを受けてくれる人、どこかにいるんじゃないか幻想」
に折り合いがついたら、それぞれ異なった個性がお互いの違いをみとめ、たぬきうどんのネギのように、社会に合わせた柔軟な個性を発揮してけば良いのです。
続きます