コミュニケーション能力-講座の軌跡194 あがり症編 懊悩
コミュニケーション能力-講座の軌跡194 あがり症編 懊悩
元引きこもりの私は、25歳の頃に400万円を貯め、コミュニケーション講座を開催することにしました。しかし、初めての講義で巨大な緊張に襲われ、講座直前にトイレへ脱走するという大チョンボを犯したのです。
トイレにプリズンブレイクした私ですが、呼吸が早くなり、身体が動きません。今までも緊張の連続でしたが、今回は人生で感じたことがないような異常な緊張でした。
トイレで頭を抱えながら私は懊悩としました。
「きっとアナウンサーのような
饒舌な講師を期待しているに違いない。
絶対がっかりされる・・・」
「このまま講義をしても頭が真っ白になることは明白だ。もうこれは講義ができないかもしれない・・・」
「コミュ障の癖に、なぜ講座なんてはじめてしまったんだ・・・」
「逃げたい・・・逃げたい・・・」
「ギブアップ・・・
ギブアップ・・・
ギブアップしたい・・・
まじギブっす・・・」
私は頭を抱え、逃れられない現実と対峙しました。生徒さんはまさか講師がトイレで頭を抱えているなんて、想像もしなかったでしょう。
もう限界かも・・・
頭を抱えていると・・・
私の中には新たな恐怖が沸き上がってきました。
今講座を回避して代金を生徒さんに返金したとして、一体全体どんな希望に満ちた未来が待っているのでしょうか。
その未来には何1つ、ポジティブなイメージを持つことができません。回避した自分を徹底的に攻め、自己嫌悪の日々に埋没することは明らかでした。
巨大な緊張を抱えながら
壮絶に失敗する恐怖
VS
回避することで
暗黒の未来に突入する恐怖
2つの恐怖の狭間で3分ほど悶えました。
私は森田療法のあるがままを思い出し、緊張をなくそうともがくのではなく、あるがまま苦しみました。全くもって森田療法というのはストイックです。
そして、もう一度顔をぐしゃぐしゃにしながら、「目的本位」という言葉の意味を思い出しました。(*目的本位)。
私が講座をはじめた目的は
「社会のコミュニケーションの問題を解決する」
「暖かい人間関係のある社会を創る」
ことです。
あがり症だろうが
緊張しいだろうが
この目的とは無関係なのです。
私にはまだ講義に向かうための、
足と、
考えることを伝える
口と、
表現に色どりを加える
手が、
そして・・・言うことをなかなか聞いてくれませんが、話すことを考える
頭が
くっついていました。私にはちゃんと目的本位に生きるための、スペックが実装されていたのです。
私に残された選択肢は、目的本位に生きることでした。
身体では不安と緊張を抱えながらも、逃れられない恐怖突入をすることを覚悟しました。
失敗して生徒さんがゼロになってもいいや。初めてなんだから・・・
伝えるべきことを伝えよう。壮絶に転ぼう。そう自分にどうにか言い聞かせました。
それでも体はガチガチで、トイレから出るために協力してくれません。そこで私は心理療法で使われる、筋弛緩法を試しました。
筋弛緩法とは簡単に言えば、身体に力を入れて、緩めることでリラックスする体の状態を創る練習です。
私はトイレで1分ほど、
力を入れる→脱力
力を入れる→脱力 ふ~
力を入れる→脱力 ふ~
力を入れる→脱力 ふ~
このエクササイズを繰り返しました。すると本当にささやかですが、少しだけ体の力が抜け、微かに動くようになりました。
講義前に講師がいないという状況が5分ほど続いたでしょうか・・・もう開始時間です。
いよいよ時間がなくなり私は、トイレにへばりついて逃げたい体に、
「お願いします・・・動いてください」
と懇願し、どうにか鉛のような腰を上げることができたのです。
そうして、ドアをパタンと空けると、そこには、5分間講師が不在でもぬけの殻となった会場がありました。
そして、ポカーンとした生徒さん達が私の姿を一斉に見たのです。
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