川島ブログ 

コミュニケーション能力に関するブログを書いています。筆者は元引きこもり、ニート、現在はダイレクトコミュニケーションの講師をしている川島達史です。

コミュニケーション能力-講座の軌跡131 起業迷走編 フリマで1円を稼ぐ

コミュニケーション能力-講座の軌跡131  起業迷走編 フリマで1円を稼ぐ

 

独立をしようと会社員を辞めた私ですが、肝心の何をするか?がまだ決まっていない状態でした。そこでまずは「1円を稼ぐ」ということを目標にすることにしました。まずは商売の種を捜すため東京中を歩いてアイデアを求めました。

 

 

しかし、いくら歩いてもアイデアを発想することができません。日に日に追い詰められ、絶望・恐怖・・・強いマイナス感情が全身にまとわりついてくる感覚がありました。 

 

・にぎやかな一角

そんな徘徊を繰り返していたある日、新宿西口のビル街で賑やかな音が聞こえてきました。その日は日曜日でした。ビジネス街の一角だったので、休日は静かなはずです。しかし、近づいてみると人だかりができていました。

 

吸い込まれるように近づいてみると、フリーマーケットが開催されていました。その時、

 

フリマであれば、目標とする1円を売り上げられるかもしれない!

 

とすぐに直観しました。資本金もいらない。既に持っているものを売ればいい。1円を売るという目標にはピッタリだ!そう感じたのです。

 

 

自分の将来の仕事にするわけではありません。まずは1円を稼ぐという小さな一歩を踏み出したかったのです。無為な徘徊にはうんざりしていました。とにかくとにかく結果が欲しかったのです。

 

・地元でのフリマを見つける

私はすぐに帰宅しました。日曜日なので、会いたくない両親がいました。ニートという立場で楽しく健康的な会話など到底できるわけがありません。

 

私は「ただいま」の挨拶もせず、すばやく物陰に隠れるネズミのように、屋根裏部屋に遁走しました。24歳にもなって何をやっているのか・・・と自分を責めました。

 

屋根裏部屋に到着すると、私はネットでフリーマーケットの開催場所を捜しました。検索をすると、全国各地で開催されていることがわかりました。最寄りの会場は埼玉県にありました。自転車なら2時間ほどで到着することができます。フリマの開催期間は土日の2日間でした。

 

場所代は3000円でした。これなら限られた事業資金を減らさないで済みます。すぐさま3000円を振り込むと、さっそく商品の構成を考えることにしました。

 

・初めての商店創り

いざ商品構成を考えると、売れるものがほとんどありません。唯一売れそうなものは、古本、中学時代に着ていたコートなどがなんとか売れそうになっていました。

 

私は部屋中を捜索し、ほとんどゴミ同然のものかき集め、値段をつけていきました。

 


・マンガ1冊30円 50冊ほど
・黒のコート 3000円
・学生鞄 1000円
・半分使ってしまった 大きめのローソク 50円
・プレステソフト 100円
・・・・


どうにか、かき集め、値札をつけていきました。もっとも値札というものも持っていなかったので、紙を切ってセロファンを張るという極めてお粗末なお店を創ったのです。

 

・フリマ当日

そして準備を終えると、いよいよフリーマーケットの日になりました。フリーマーケットは10時から開催でした。

 

運搬手段はママチャリです。買い物かごに漫画を入れて、後ろに荷台をつけて、コートや雑貨を載せます。それでも入りきらないので、持ち手の部分にビニール袋をひっかけて商品?を入れていきました。

 

どう見てもスタイリッシュとは程遠い出立です。見ようによっては、ゴミを運んでいるホームレスの方か、家出少年に見えたとも言えます。実際、会場に向かうまでの道は何度も不信感ありありの視線を感じました。それでも私は1円を売り上げたいと強く決心し、会場に向かったのです。

 

しかし、私はフリマ初日を持ち前の対人恐怖心性を活性化させてしまい、さらなる黒歴史を刻んでいくことになるのです。

 

 

 

 次のコラム

コミュニケーション能力-講座の軌跡132 起業迷走編 対人恐怖が目を覚ます - 川島ブログ

 

 

コミュニケーション能力-講座の軌跡130 起業迷走編 徘徊する無職

コミュニケーション能力-講座の軌跡130 起業迷走編 徘徊する無職

 

独立をしようと会社員を辞めた私ですが、肝心の何をするか?がまだ決まっていない状態でした。そこでまずは「1円を稼ぐ」ということを目標にすることにしました。

 

1円を稼ぐことを決めた私は、改めて商売のタネを探すため、足を使って「リサーチ」することにしました。机の上での勉強には飽き飽きしていました。実際に足を動かして、自営業の方の表情やノウハウを目の当たりにして考えることにしたのです。

 

いや・・・正確にはどうすれば良いかわからずパニックになっていたとも言えます。家にいても暗い気持ちになるだけなので、とにかく町に出ることにしたのです。 

 

・御互いを喜ばせあう社会

まずは中央線の高尾からはじめました。駅を降りて売店で何が売られているのか見ていきます。町中に入って小さな商店を見ていく。丁寧に1つ1つ商品をみていきました。同じことを八王子、立川、国分寺と繰り返していく。

 

中央線が終わったら、山手線の町を見ていく、山手線が終わったら西武線を見ていく・・・そんなことを繰り返しました。

 

 

 

・ラーメン屋のおじさん

町を徘徊している時に、小さなラーメン屋を見つけました。ラーメン屋を始めるには、初期投資が必要となります。家賃100万円、内装300万、機材200万、少なく見積もっても600万円はかかります。

 

  

ラーメン屋のおっちゃんは、そうした身銭を切って、人生をかけたラーメンを食べてもらい、喜んでもらっている。そこに行きつくまでにたくさんの苦労や勇気やお金が必要だったのだろうと容易に想像できます。

 

ただ散歩して、「リサーチ」という横文字を並べて、何もできずに指をくわえて歩いている私に比べ、そのおっちゃんが、すごい人に見えて仕方がありませんでした。

 

 

・支え合う社会

それにしても社会というのは本当に様々な職種によって成り立っている事に気が付きます。道路を創る人もいれば、花を売る人もいる、ご飯を創る人もいれば、看板を創る人もいる、物を運んでくれる人がいる・・・単純ですが誰か1人欠けてしまうと社会は回らなくなってしまいます。

 

独立とか自営業とか会社員とか、関係なく、「仕事ってすごいことなんだな。みんな誰かに喜びを創って生きているんだな。」と実感しました。

 

 

  

・1円の売り上げ=1円の喜び

自分には何ができるのか・・・1円を稼ぐと言っても、いざ現実を目の前にすると、とてつもなく難しいことがわかります。1円を頂くには、1円分、誰かに喜んでもらわなくてはならないわけです。

 

しかし、いくら経営学、会計学を勉強しても、勉強しているようで、勉強していなかった。経営学とか会計学の形だけ勉強していて、誰かに喜んでもらう何かを本気で考えるということを切実に考えていなかった。そう痛烈に実感しました。

   

 

・気が付けば10日無為にすごす

結果的に10日ぐらい無為に過ごしてしまいました。10日、町を徘徊しても、何一つ前に進まない・・・10日もあって売上はありません。

 

1円分ですら誰かを喜ばせることができない。

 

とてもではないですが、起業家と言える状態ではありません。ただ無職になって町を散歩しているだけの無意味な存在でした。あるとき、町を周っている自分の姿がショウインドウに反射して見えることがありました。顔は精気が無く、存在がうつろでした。

 

 

 結局お前は口だけ男・・・

土台無理なことなんだよ・・・

また今日も無駄な1日を過ごしたね・・・

 

という内的自己会話をはじめる自分がいます。 自分で仕事を創るということがこんなにも難しいことなのか?私は独立という難しさを全身で感じました。

 

 

私の徘徊はさらに数日続きました。日数が経つにつれ、電車賃も馬鹿にならない額になってきましたし、精神的にもどんどん追い込まれていきました。しかし、新宿を徘徊していたある日、いびつな一歩となる出来事に遭遇することになるのです。

 

 

つづく

 

 

次のコラム

コミュニケーション能力-講座の軌跡131 起業迷走編 フリマで1円を稼ぐ - 川島ブログ

 

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私川島達史は元引きこもりニートです。対人恐怖の克服体験、起業について執筆中です。対人恐怖の克服、どうして引きこもりがコミュニケーション講座を創ったのか?興味がある方は是非ご一読ください。

 

・軽度対人恐怖時代    1~32
・引きこもりピークに   33~56
・フリーター時代     57~82
・2年間の会社員時代   83~128
・起業ニート時代     129~187

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当ブログを執筆している川島達史は
コミュニケーション講座を開催しています♪
当ブログを読んで面白そうだなあ~
と感じた方のご来場をお待ちしています!

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コミュニケーション能力-講座の軌跡129 起業迷走編  1円の売上

コミュニケーション能力-講座の軌跡129  起業迷走編  1円の売上

 

本日会社設立記念日です。キリが良いので、今日から起業迷走編を連載します。3日に1回程度の更新を予定しています。よかったらお付き合いください。

 

・これまでのあらすじ

対人恐怖を発症し、引きこもりとなった私は、トイレすら行けなくなりました。その後心理療法と出会い,どうにか回復しました。回復後は、半年間フリーター生活をした後、2年間、会社員となって仕事をしました。そして、独立する決心を固め、退職したのです。

 

コミュニケーション能力-講座の軌跡37 屋根裏部屋へ追い込まれる - 川島ブログ

コミュニケーション能力-講座の軌跡72 皿洗いマシーン - 川島ブログ

コミュニケーション能力-講座の軌跡83 就職活動編1 引きこもりからの就職活動 - 川島ブログ

コミュニケーション能力-講座の軌跡105 会社員編 さっそくのプチ出社拒否 - 川島ブログ

 

今回から起業迷走編を連載します。会社員を辞めてダイコミュを設立した1年目の出来事を書きます。文字通りどん底時代だったので、思い出すだけで陰鬱な気分になってきますが、初心に帰るつもりで書きたいと思います。

 

・形は独立 実質ニート

高校生の頃からの夢だった独立を果たすため、私はお世話になった会社を辞めました。しかし、肝心の「何をして起業するか」は白紙の状態でした。そのため独立したと言っても、客観的にはニートに戻ってしまったようなものでした。

 

「会社辞めたから・・・」

 

と告げると母親は狼狽し、父親は納得いかない表情でした。

 

やっと片付いた・・・

 

とほっとしてた両親からすれば、あきれて物を言えないような状態だったと思います。

 

 

周りの99%の人は懐疑的に私の行動をみていたと思います。そして何より肝心の私自身が、独立してうまく行くか?自分自身を信じ切れていないところがありました。

 

 

・自分の棚卸

さて独立(ニート生活)生活を始めた私ですが、改めて自分のリソースを確認してみました。資金はコツコツためていたので450万円貯まっていました。経理の知識や経営的な基本的な考え方の土台は学んできました。

 

しかし、経営学をいくら学んでもどこか釈然としないものがありました。損益分岐点とか、労働分配率とか、経営理念の創り方とかいくら学んでも決定的に足りないものがあったのです。

 

それは

 

「1円も稼いだことがない」

 

という事実でした。これは大きなコンプレックスでした。私は自営業としてこれから生計を立てて行かなくてはなりません。しかし、「自分自身で何かを創り出し、誰かに買ってもらう」という体験をしたことがなかったのです。

 

仕事をもらい、お給料をもらうことはあっても、「自分自身でアイデア」を練るという体験がなかったのです。私がそれまで勉強してきたことは、会社の組織の運営の仕方や会計の知識ばかりです。

 

「サービス」を創るという決定的なことをしてこなかったのです。

 

 

・1円を売り上げるという目標

私はまずはこのコンプレックスを解消したいと考えはじめました。そこでまずはじめの1か月目は「1円を売り上げる」ということを目標にしました。

 

どんな形でもいいから、1円を売り上げる。スモールステップですが、1円を自分の頭で考えて売り上げを上げることから何かが始まる気がしたのです。

 

そうして実際行動するのですが、この1円を売り上げるという行為がとても厚い壁となって人生の進捗を妨げることになるのです。

 

 

つづく

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡130 起業迷走編 徘徊する無職 - 川島ブログ

 

 

 

コミュニケーション能力コラム38 はじめやすく 続けやすく 辞めやすく 続けやすく 戻りやすく ④

コミュニケーション能力コラム38 はじめやすく 続けやすく 辞めやすく 続けやすく 戻りやすく ④

 

 

先日から健康的なコミュニティについてブログを書いています。

1健康的なコミュニティとはなにか

2継続することが当たり前になる文化

3カルトとはなにか?

 

 

つまらん!と言われそうなので、今回で終わりとします笑

 

 

・3種類の病的依存

今回は「依存」の問題について考えてみたいと思います。生徒さんから

 

 

「ずっと通っているとダイコミュに依存している気がする」

 

 

という悩みを受けることがあります。今回はこの点について、考えてみたいと思います。

 

まず「依存」についてですが、依存すること自体は悪いわけではありません。多かれ少なかれ誰しも何かに頼って生きているからです。私の場合は、麻雀に依存していますし、心理療法にも依存しています。おにぎりも好きなのでおにぎりにも依存しています。幸せに繋がる依存であれば問題となりません。

 

 

しかし、病的な依存、不幸に繋がる依存はやはり問題となります。では病的な依存、健康的な依存とはどのような違いがあるのでしょうか?

 

 

まず、病的な依存というのは学術的には3つに分類されることが多いです。

物質・身体依存・・・タバコ 覚せい剤 飲酒など

プロセス依存・・・過剰なギャンブル ネットゲームなど

関係依存・・・共依存(不適切な支え合い) ホスト通い など

 

このうちダイコミュで可能性があるとすると、関係依存の定義に当てはまるかどうか議論の余地があると思います。ここで関係依存をどう定義するかが問題となります。んでいろいろ調べているのですが、関係依存というのはこれだ!という決まったものはありません。

 

 

・関係依存の定義

そこで私なりに考えた結果、以下のような定義が妥当であると考えています。

 

「特定の人間関係を重視するあまり、日々の生活が犠牲となり、人間関係が縮小し、金銭的な損失を抱える。また社会性を失い、孤立した状態に追い込まれる閉鎖的な状態」

 

この定義であれば、ホスト通いや、アルコール依存症の家族関係などに当てはまることができると思います。マルチ商法のネットワークとかも当てはまりますね。友人関係を失い、マルチの集団だけで孤立した関係を築きやすいです。

 

 

・健康的な依存関係とは何か?

では健康的な関係依存を定義してみます。

 

「お互いの価値観を大事にし、開放的に人と関わることで人間関係が拡大し、お互いの社会性を養う発展的な関係、また自由になる範囲で金銭的な消費を行う」

 

 ちょっと語呂が悪いですが上記のように考えました。議論の余地はありますし、また私の考えも変わるかもしれないですが、この定義をもとにコミュニティ創りをしていきたいと考えています。

 

 

・辞めやすい講座

では具体的には上記の定義をどう実行していけばいいのでしょうか。私は「辞めやすい」講座が必要なのかなと思います。

 

辞めやすい、というのは自分自身でコミュニティとの距離感を調整できるからです。

  

例えば私は、引きこもりから脱出する際に、ちょうどよい中継地点に雀荘がありました。麻雀にはフリー参加システムというものがあり、自分のタイミングではじめ、自分のタイミングで麻雀を辞められるというのがありました。とても距離感が保ちやすかったと感じています。

 

予約不要で、その日の気分で好きな時間打って、好きな時間に帰る。この緩さのおかげで私は長年、雀荘通いを続けているとも言えます。

 

 

もし雀荘が一度入ったら抜けられないシステムになっていたら、私はおそらくその縛りがうっとおしく続けられなかったと思うのです。逆説的ですが、辞めやすいというのは結果的に続けやすいとも言えるのです。

 

 

・辞めるも続けるも、戻るも尊重する

この点、ダイコミュは辞めていく人に営業を書けることもないですし、尊重して受講分はすべて返金しています。もちろん続けることもできますし、数年で戻ってきてくれることもウエルカムです。

 

繰り返しになりますが、

はじめやすく 続けやすく 辞めやすく  続けやすく 戻りやすく

 

この条件を満たしたコミュニティを創っていくことが大事と考えています。  

 

 

 

 

以上でこのシリーズは終わりです。10年目の節目として書かせて頂きました。お付き合い頂いた方、ありがとうございました!

 

 

 

・次回以降の連載

さて次回から「対人恐怖症克服期」の連載を開催します♪

20回程度書き留めているので

3日に1回程度更新していきます!がんばります!

 

 

 

 

 

コミュニケーション能力コラム38 はじめやすく 続けやすく 辞めやすく 戻りやすく ③

コミュニケーション能力コラム38 はじめやすく 続けやすく 辞めやすく 戻りやすく ③ 

 

 

先日健康的なコミュニティについてブログを書きました。

1健康的なコミュニティとはなにか

2継続することが当たり前になる文化

 

① いろんな人がいてOk 

② 人物本位である

③ どうせ自分なんて・・・と考えない

④ 病市に出せ(やまい いちにだせ)

⑤ ゆるやかにつながる

⑥ コミュニケーションを当たり前に学ぶ文化の醸成

 

この6つの条件を大事にコミュニティ創りを心掛けます。今回はこの続きです。コミュニケーションの学びを前提としたコミュニティというのは一般的ではありません。世界的にも初めて出てきた動きだと思います。人間というのは新しいものにまず反発する生き物です。

 

「やばそう!」「依存になるんじゃないの?」「宗教じみてない?」という懐疑的な意見も頂いたりします。この点について考察してみたいと思います。

 

 

 ・コミュニケーション講座の怪しさ

まず宗教との関連です。この業界の特色として、実際に宗教まがいの講座がかなり多かったのは事実です。実は私が修業時代に参加した講座の、50%近くが、資格商法、宗教、自己啓発系の洗脳セミナー、マルチ商法の入り口になっていました。こういった確率の高さがこの業界への怪しさにつながっていると考えています。

 

法律的にはこれらのセミナーはグレーです。明確な詐欺的行為でばければ法律的には犯罪を犯しているわけではありません。ただ倫理的には明らかに誤ったセミナーはたくさんありました。

 

 

・6日で35万円の講座

例えば、私が通ったある講座(催眠療法)は6日間で35万円でした。ちょっと高いなあ・・・それでも何か学べるなら・・・と通ったのですが、学術的な論拠は皆無で、抽象的な話ばかりでした。

 

さらに次のセミナーに行くと100万円、その次は150万円・・・というような勧誘を受けたことがありました。そして150万の講座に出れば、実際に自分も開業して、催眠療法を実施できるとのことでした。

 

ですが最後まで通ったとしてもせいぜい1カ月ぐらいの講座です。催眠療法なんて高度な手法を教えることができるなんて、倫理感が欠如していると言わざるをえないです。

 

 

 

・カルトとはなにか?

ここで参考になるのが、アランジェスト報告書です。これはフランス国民議会が提唱したカルトの定義になります。

 

1. 精神の不安定化 2. 高額な金銭的要求 3. 住居の移動 4. 肉体的保全の損傷

5. 子供の囲い込み 6. 反社会的言動 7. 公秩序の攪乱 8. 頻繁な裁判

9. 従来の経済回路の変更 10. 政治への進出

 

私はさらに追加で

11 過剰な営業行為 12 根拠の希薄な知識の提供 13講師の神格化

 

なども挙げたいと思います。このうち、私が参加した講座では特に、1、2、9、11、12、13に当てはまる講座が多かったです。

 

金額については、どこからが高額か?は個人差があり難しいところですが、私個人の感覚としては1カ月、1万円以内ぐらいが健康的な範囲内と考えています。ダイコミュは上記のうち、今のところはどれにも当てはまらない講座であると考えています。

 

 

この回で終わる予定だったのですが

もう1回だけ続きます(汗)

 

 

 

コミュニケーション能力コラム38 はじめやすく 続けやすく 辞めやすく 戻りやすく ②

コミュニケーション能力コラム37 はじめやすく 続けやすく 辞めやすく 続けやすく 戻りやすく ②

 

先日健康的なコミュニティについてブログを書きました(前回のブログ)。今回はその続きです。

 

① いろんな人がいてOk 

② 人物本位である

③ どうせ自分なんて・・・と考えない

④ 病市に出せ(やまい いちにだせ)

⑤ ゆるやかにつながる

 

という岡先生の主張はとても示唆に富むものでした。5つの原則はこれからのコミュニティ作りに役立てていきたいと考えています。

 

そしてこのコミュニティの原則に追加したい考えが1つあります。

 

 

それは、

「コミュニケーションを当たり前に学ぶことができる文化の醸成」

です。

 

 

・コミュニケーションを学ばない社会

コミュニケーションという活動は、人間の本質に関わる活動です。戦争、自殺、喧嘩、ビジネス、恋愛、虐待、交渉、犯罪・・・あらゆるところにコミュニケーションは存在します。幸福感とコミュニケーションには強い相関関係があり、私達の人生を決定付ける活動です。

 

 

しかし、なぜか?私たちはしっかりとそれを学んでいません。せいぜい書店に行って、自己啓発の本を読むぐらいです。もちろん、日常生活を通した学びはありますが、しっかり体系的に学習する機会が絶対的に不足していると感じています。

 

 

・恥ずかしい事ではない

なぜそのような状況になっているのか?それはコミュニケーションを学ぶことはどこか恥ずかしいという感覚があるからだと感じています。たとえば、講座に6年通ったとします。生徒さんが他の方に継続していることを誰かに伝えると、「ええ?コミュニケーションの勉強を6年もしているの?」という印象を持たれるのです。

 

例えば、柔道とか、華道、ジムであれば、6年続けると賞賛されます。しかし、どういうわけか「コミュニケーションスキルをしっかり継続してトレーニングすることは恥ずかしい」という感覚が社会全体にあるのです。

 

しかし、なぜ?人と人とのかかわりを考え、切磋琢磨することが弱い人間なのでしょうか?なぜ恥ずかしいことなのでしょうか?明確な根拠はありません。ステレオタイプ的な解釈でしかないのです。

 

 

・遠すぎる心理療法

ジムに10年通ったらすごいね!となります。健康的だね!となる。しかし、心の健康、生活の健康の為にコミュニケーションを学ぶとなぜか批判される。コミュニケーションはあらゆる日常に根ざしている活動なのにも関わらずです。

 

私は高校1年ぐらいから徐々に心を病み始めした。大学卒業して引きこもりになって、はじめて心理療法という存在を知りました。今の仕事にたどり着いたので結果的には良かったのですが、心理療法であったり、コミュニケーションを学ぶ身近な機関が身近にあれば、あんな思いはしなくても済んだと思います。

 

とにかく心理療法やソーシャルスキルトレーニングはアクセスが悪すぎるのです。日常的に使うものにも関わらず、どこか別世界にあるような感じがします。

 

  

・対人コミュニケーションを学ぶことは必ず文化になる

私は「コミュニケーションを当たり前に学ぶことができる文化」を新しく創りたいと考えています。柔道とか、華道とかと同じように、ずっと続けて勉強を続けることによってより、コミュニケーションを磨き上げていく。

 

柔道や華道は何年も継続すると賞賛される。それと同じようにコミュニケーションも長年練習を重ねて、段々と洗練させていく。そのような文化を創りたい。

 

 

・対人コミュニケーションを学ぶことは必ず文化になる

今毎月継続している生徒さんは200人いらっしゃいます。1人には30人がかかわっています。生徒さん200人は6000人とつながっているのです。

 

もしダイコミュがもう少し大きくなって、1万人受講者が出れば、30万人に好影響がでます。そしてその30万人は900万人とつながっています。そうすれば社会的な影響力が出てきます。

 

 

コミュニケーションの問題が改善されていけば、社会の様々な活動が活性化していきます。ちょっと話が大きくなってしまいますが、生産性の向上によりGDPも向上します、恋愛も活性化して、少子化問題も改善するかもしれません。犯罪率も減り、治安が回復します。精神科にかかる医療コストが減り、医療費の削減に繋がります。虐待もいじめも減ると思います。

 

はい!根拠は希薄です。

でもきっとそうなる

という確信があります。

 

そして

そうしなくてはなりません

 

 

そのためには継続的に、健康的に、金銭的にもそこそこの値段を維持しながら、長期的に学びを得られるコミュニティを作成しなくてはなりません。「当たり前にコミュニケーションを学べる敷居の低い文化・機関」を地域に醸成しなくてはならないのです。

 

 

・はじめやすく やめやすく 継続しやすく もどりやすく

最近、はじめやすく 続けやすく 辞めやすく  戻りやすくという言葉が頭の中をぐるぐると回っています。身近にコミュニケーションを学ぶ場があって、そこにはいつでもアクセス可能である。もちろん、離れることもできるし、いつでも戻れる。

 

継続して勉強をすることや、出戻りすることが当たり前になる文化ができる。そうすると、社会の幸福感や争い事は減っていくと思うのです。そんなコミュニティを創りたい。岡先生の本を読みながらそんなことを考えました。

 

 

頑張らねば。

 

 

このシリーズ1と1回だけ続きます。

次回は「コミュニティと依存」

の関係について考えたいと思います。

 

 

 

コミュニケーション能力コラム37 はじめやすく 続けやすく 辞めやすく 戻りやすく ①

コミュニケーション能力コラム37 はじめやすく 続けやすく 辞めやすく 戻りやすく ①

 

 

・講座の長期コミュニティ化

ダイコミュを初めて10年以上が経ちました。当初のコミュニケーション講座は7カ月で完結する講座を考えていました。しかし、実際に開催してみると、長期的に学びたい生徒さんが多く、段々と継続的に練習する場所へと変化していきました。

 

「講座」というより、長期的に通える「ジム」「寺子屋」「道場」に近い場所に変わってきています。

 

 

当初から私はコミュニティを意識しているわけではありませんでした。しかし、経験的に、ダイコミュの大きな特徴は、「健全なコミュニティと学習」にあることが分かってきました。

 

対人コミュニケーションは生の人間関係があってはじめて血肉化されていくものです。そのため、短期的な関係ではなく、継続して人間関係を築き学習していく方が、成果が出やすいと感じています。

 

 

・健全なコミュニティとは何か?

繰り返しになりますが、コミュニケーション能力の獲得には「健全なコミュニティと学習」がカギであるようです。

 

では健全なコミュニティとは何か?

 

この点、慶應義塾大学院健康マネジメント大学研究院の、岡先生の研究は非常に興味深いものです。岡先生は「自殺率が一番低い町」について研究をされました。以下「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある  2013 講談社」の引用となります。

 

 

徳島県旧海部町の自殺率

岡先生は徳島県下45市町村の1973年から、30年間のデータを精査されました。その結果、自殺率が一番低い町は徳島県旧海部町であると主張しています。

 

人口10万人あたりの自殺率

海部町→8.7人

東京都→20人前後

*秋田県→30人前後

 

この数字は全国の市町村の中で1番です(島を除く)。 

 

 

徳島県旧海部町のコミュニティの特徴

ではどうして海部町は自殺率が低いのでしょうか?調査した結果、以下の特徴があるようです。

 

① いろんな人がいてOk

海部町では意見を自由に出す文化があるようです。例えば赤羽募金について議論をしたとします。すると、反対意見を言う人が出てくるのです。ボランティアについて反対意見を出すのは、勇気が必要です。しかし、海部町では信頼関係が出来ているので、自由に意見を言い合う文化が醸成されているのです。

 

 

② 人物本位である

肩書や年収、社会的立場、家柄はあまり重要ではなく、考え方や問題解決力が評価される土壌がある。

 

 

③ どうせ自分なんて・・・と考えない

海部町では自殺率が高い市町村に比べて、「政府を動かす力ある」という感覚を2倍程度持っていることがわかったそうです。すなわち、1人1人の力が重要であり、主体的に世の中を変えていけるという感覚を持っているのです。

 

④ 病市に出せ(やまい いちにだせ)

元気がないときは、どうも恥ずかしいと思ってしまうものです。しかし海部町では心に病を抱えることをあまり隠そうとしません。精神科の受診率もとても高いのです。体調が悪くなったり元気がなくなったら積極的に、みんなで助け合う土壌ができているようです。

 

⑤ ゆるやかにつながる

隣人同士の関係で粘着的なものはなく、ゆるやかにつながっているどうです、日常的に密着して関わることは他の市町村よりも少なく、自分のことは自分でする。ただ、「あいさつ」「立ち話」などは積極的という特徴があるようです。

 

絆の強さはそこまで必要ではなく、ゆるく適度に流動的につながっているという特徴があるようです。

 

 

・ダイコミュはどうか?

このコミュニティの在り方は非常に参考になると感じています。結果論ですがダイコミュのコミュニティはこの5つに当てはまる気がしています。

 

① いろんな人がいてOk 

もともとコミュニケーションが苦手という前提があるため、わりとお互いのキャラクターを受け止めている 

 

② 人物本位である

肩書などを重視する人は少ない。中卒も高卒も、院卒も、弁護士も、会計士も無職も対等な空気感がある。肩書よりも、素のキャラクターが重視される。

 

③ どうせ自分なんてと考えない

講座に参加した当初は③に当てはまる方は多い。ただ長期的に通うと徐々に③が減ってくるように感じます。主体的に行動する方が増えてきます。

 

④ 病市に出せ

個人差があるが元気がない時にわりとみんな悩みを打ち明けてている。

 

⑤ ゆるやかにつながる

突然やめたり、突然戻ってきたり、良い意味でだらだらとつながっている。

 

 

このような特徴があると思います。当初想定したわけでなく、帰納法的に試行錯誤していたらいつのまにか、このようなコミュニティに帰着していました。

 

5つの条件が完全に満たされていないと感じる生徒さんもいらっしゃると思いますが、概ね方向性は同じと感じています。

 

 

ではこれからダイコミュの講座・コミュニティをどのような哲学で創っていくのか?次回のコラムで考えていきます。

 

 

 

続く