川島ブログ 

コミュニケーション能力に関するブログを書いています。筆者は元引きこもり、ニート、現在はダイレクトコミュニケーションの講師をしている川島達史です。

コミュニケーション能力-講座の軌跡126 会社員編  父の壁

コミュニケーション能力-講座の軌跡126 会社員編 父の壁 

 

引きこもりから脱出し、就職することができた私は、サラリーマン生活を送っていました。サラリーマン生活がもうすぐ2年になろうとしたとき、自問自答を繰り返し、ついに独立する決心を決めました。

 

 

・プランは白紙

独立する際、一般的には業種を決め、ある程度見通しがついてから退職する方が多いと思います。しかし、私はギリギリの環境に自らを賭すことで、考え抜いて業種を決めたいと考えました。そのため、プランは白紙のまま、会社を辞める決心を固めたのです。

 

 

・絶対に守る決め事

ただ、業種は決まっていないものの、決め事はありました。それは以下の5つでした。

 

・一生の仕事とすること

・人生を賭ける価値のあること

・正業であり、人の役に立つこと

・システムがもたらす業種ではないこと (川島の経営感

・短期的な分野ではなく、長期的な視点で 考える

 

この5つを満たす分野で独立することを決めていました。後は会社を辞めて、じっくり考えようとしました。

 

 

・父親への報告

さて・・・独立することは決まったものの、私にはさっそく越えなくてはならない、壁がありました。それは父親へ説明するということでした。当時の私はまだ実家暮らしでした。起業するとは言っても、プランも決まっていないのですから無職と紙一重なようなものです。

 

父親には散々迷惑をかけてきました。学生の頃は財布からお金を盗んで麻雀をしていました(コミュニケーション能力-講座の軌跡21  父親の財布から1万円を盗んで麻雀

 

学費を散々投資してくれたのに結果を残すことができませんでした。挙句の果てに引きこもりになってしまい、3階から降りてくることができなくなりました。

 

それでも、自宅から追い出すでもなく、哲学的なことを考える時間を与えてくれました。私は特に「考える時間」を与えてくれた父親に感謝していました。不本意な息子だったかもしれませんが、私なりに筋は通したかったのです。

  

 

・息子がバグった

父親は勤続35年のサラリーマンでした。初めに努めた会社に勤め上げ、出世も早かった人間です。完璧主義で、曲がったことが嫌いな父親。だらしない姿を息子に見せることはほとんどありませんでした。

 

そんな父親に、「起業プランはない」という大馬鹿な息子の主張が通るわけがありません。さらに経ったの2年で会社を辞めると言うのです。やっと社会人になった息子が再びニート宣言をするようなものです。父親からすれば、息子がバグってしまったと・・・絶望するレベルの出来事だと思います。

 

  

・父親の書斎は恐怖の扉

ある日、書斎に父親がいることがわかりました。父親の書斎は私にとって家の中で一番緊張する場所でした。野球部時、鬼コーチがいる顧問室に入るような感覚がありました。

 

私は森田療法を思い出し、恐怖突入をしようと心に決めました。そして、満を持して書斎をノックしました。父親は低い声で、

 

 

「はいはい・・・」

 

と答えました。私が部屋に入ると、父親は背を向けたままでした。

 

 

「おとうさん・・・話があるんだけど・・・」

 

 

私は恐る恐る父親に声をかけました。

 

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡127 会社員編 反対の嵐 - 川島ブログ

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡125 会社員編 自分にOKを出したい 独立の決意

コミュニケーション能力-講座の軌跡125 会社員編 自分にOKを出したい 独立の決意 

 

引きこもりから脱出し、就職することができた私は、サラリーマン生活を送っていました。サラリーマン生活はもうすぐ2年になろうとしていました。しかし、彼女の会計士試験の合格を目の当たりにして、自分の人生を考え直すようになっていました。

 

 

・定時帰りで 社内で浮き始める

この頃になると私は会社内で浮き始めていました。と言うのも、営業の方や社長は11時ぐらいまで残っているのに、私は定時に帰るようになっていたからです。社内でも下から数えて何番目かに若い社員である私は、誰よりも遅く帰るのが暗黙のルールでした。

 

しかし、私は、人生の諸先輩方を差し置いて、誰よりも早く退社するようになっていたのです。これは相当異様な光景でした。私が「お疲れさまでした!」と挨拶をしても、誰も返事をしてくれないこともありました。

 

 

ただ、私にはどうしてもやりたいことがあったのです。

 

 

それは自分の人生を本気で考えるということでした。

 

定時で会社を出た私は、すぐに帰宅をするでもなく、街中を徘徊しながら、人生を考えるようになっていました。一番ひどかったのが金曜日の夜でした。

 

終電を乗り過ごすまで街を徘徊し、深夜営業をしている喫茶店で朝まで考え続けたこともありました。18時から朝の6時まで12時間ずっと考えているのです。今思うと贅沢な時間の使い方だったと思います。

 

 

・無気力の源泉

考えていたことは主に2つでした。1つ目は無気力の源泉がどこから来ているのか?ということでした。理解されにくい感覚かも知れないのですが、私にとって

 

 

「会社員で仕事をしている状態」

     よりも

「引きこもって、もがいていた時」

 

の方が成長している感覚があったのです。

 

 

なぜか?

 

ひたすら考えました。一般的には会社員として仕事している方が評価されるのに、引きこもっていた時の方が成長があった・・・不思議でした。

 

 

考え続けてわかったことは、引きこもりの時は「死」を意識したということでした。

 

 

・安定と死 

死は人間一番怖いです。だからこそ、死から逃れようと、一生懸命人間は考えます。安定すると心理的に安定します。しかし、「安定」した環境は死から遠い環境にあるため、考えてなくとも済んでしまうのです。

 

 

逆説的ですが、死を意識できる環境は、自分を成長させるチャンスであることに気がついたのです。私は能力がないことを悟っていました。この能力の無さを解決するには、どうしようもない環境で自分を鍛えることでしか成長できない気がしたのです。

 

 

 独立は死に近いイメージがありました。成功可能性は低く、自分の考えがそのまま会社の業績に反映される。誰かを喜ばせなければ、ご飯を食べられない。すぐに社会的な死を迎えてしまいます。 これは自分を成長させるこれ以上にない環境だと確信したのです。

 

 

 

・自分に対する嘘にも限界

もう1つ、「独立」について考え続けました。私は様々な面で失敗してきた人間でした。様々な場所から遁走して、価値観をコロコロ変えて一貫性のない生き方をしてきました。

 

しかし、唯一、一点、「独立する」ということだけはもう8年間言い続けていました。唯一8年間、変えずに言い続けてきたことでした。

 

もしこの8年の価値観を勝負もしないで、変えてしまったら、本当に本当に口だけ男になってしまう。周りの人は気にしないかもしれません。しかし、自分に嘘をついているのは自分が一番知っています。嘘は自分だけにはつけないのです。

 

もしこのまま独立しないで、会社員生活を続けていたら、本当に本当に自分を嫌いになってしまう・・・そう感じはじめていました。

 

失敗しても良い

失敗して負けても自分自身に納得はいく

 

だけど戦わない、チャレンジしないで、

逃げてしまえば、心底自分を嫌いになる。

 

 

私は世間的にはダメでも、自分に対してはOkを出せる人生を歩みたいと考えるようになっていました。 

 

独立するといっても、なんのプランもないし、成功できる可能性なんて紙のように薄いいです。だけど、「チャレンジした」という事実だけは絶対なのです。そこに対してのOkは自分に出してあげることができる。

 

 

勝負しないぐらいなら、勝負して思いっきり負けよう!!

私はそう考えるようになっていました。

 

 

そうして、ついに結論が出ました。

 

 

僕は自分にOKを出せる人生を歩みたい

自分との約束を守るために独立しよう

 

 

 

プランは白紙でした。

しかし、独立するという意志をはっきりと固めたのです。

 

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡126 会社員編 父の壁 - 川島ブログ

 

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私川島達史は元引きこもりニートです。対人恐怖の克服体験、起業について執筆中です。対人恐怖の克服、どうして引きこもりがコミュニケーション講座を創ったのか?興味がある方は是非ご一読ください。


・軽度対人恐怖時代    1~32

・引きこもりピークに   33~56

・フリーター時代     57~82

・2年間の会社員時代   83~128

・起業ニート時代     129~187

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡124  会社員編  粘り強さの勝利

コミュニケーション能力-講座の軌跡124  会社員編 粘り強さの勝利

 

引きこもりから脱出し、就職することができた私は、サラリーマン生活を送っていました。当時私には会計士を目指している彼女がいました。そして合格発表の日を迎えたのです。

 

彼女の番号は1055番でした。 インターネットの画面にかじりつき、緊張しながら、番号を追っていきました。 

 

 

 

 1045

 

 

1048

 

 

1050

 

 

 1055

 

 

・価値観がひっくり返る

私はこの数字を見た瞬間、体中が痺れる感覚がありました。この感覚はある種の自己否定でした。それまでの私は「努力しても夢が叶うことはない」という感覚がありました。

 

頑張った会計士試験は落ちてしまった

野球に打ち込んでも結果が出なかった

大学受験も中途半端で結果が出なかった

対人恐怖になってしまい、大学では友達ができなかった

当たり前の青春をすることができなかった

 

 

 ・彼女への投影

私は彼女にも、夢は叶わないという世界観を投影していました。ダメなものはダメ・・無意識レベルでは合格するわけがない・・・と考えていたのです。

 

私の負け犬根性はそれほど体の奥底までしみ込んでいたのです。きっと結果が出ることはない・・・と言葉にせずとも、信じてしまっていました。

 

 

しかし、彼女は合格という、疑いようのない事実によって私の価値観を全否定したのです。「頑張ることで結果が出ることがある」。私の無意識に、彼女は新しい価値観を植え付けてくれたのです。

 

 

 

・一時の安心感

実際に彼女に会ってみると、嬉しさより安堵の気持ちの方が大きかったと思います。喜びを爆発させるというより、ホっとした表情でした。彼女らしい態度でした。

 

合格が決まってからは以前よりも会う回数が増えました。いままで行けなかった場所にも出かけるようになっていきました。お互い大変な時期を過ごした人間ですが、この時期だけは安心感のある時期を過ごすことができました。

 

 

・焦り 

ただ色々な場所に出かけつつも、私の中には煮え切らない感覚がありました。彼女の苦労が報われ、一緒に喜んでいる自分がいる一方で、ドロドロとした感情が蠢いていることがわかりました。

 

私にとって彼女は恋人であると同時に、自分との比較対象でした。合格し、輝ける未来が約束された彼女と比較して、「このままでいいのか?」という疑問が出始めたのです。

 

 

「彼女は戦って結果を出した。だけどお前はなんだ?戦ってないよな。」

 

こんな心の声が聞こえてきたのです。彼女は人生を賭けて一つの結果を出した。しかし、私はどこか戦っていない。戦ってもないから負けてもない。勝負すらできていない。

 

 

・8年、有言不実行 

彼女は私の中でとても大きな尺度になっていました。スタートラインは同じだったわけです。彼女は合格という夢を叶えた。しかし、私は独立するという、実体の無い空言によって自らを誤魔化し続けていました。いまだノラリクラリと時間を浪費していたのです。

 

私はもう24歳になっていました。最初に独立をしたいと考えて勉強をし始めてから、8年が過ぎていました。彼女の有言実行さに比べ、自分の嘘つき具合に段々と嫌気が刺してきたのです。

 

自分と戦って、結果を出した彼女

 

戦ってもいない自分

 

 

努力しても夢はかなわないという思い込みに自動操縦され、行動していない自分。その感情は段々と、大きくなっていきました。そして次第に戦っていない自分への怒りと発展していきました。

 

 

そして、24歳の秋頃、私は人生における重要な決断を下すことになります。そしてその決断により、ある意味で引きこもっていた時よりも先の見えない、どん底を体験することになるのです。

 

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡123 会社員編 合格発表

コミュニケーション能力-講座の軌跡123 会社員編 合格発表

 

引きこもりから脱出し、就職することができた私は、サラリーマン生活を送っていました。当時私には4年付き合っている彼女がいました。彼女は会計士受験4年目に突入していました。そしていよいよ試験を受ける日になったのです。

 

・会計士試験の難しさ

私の記憶が正しければ当時の会計士試験は1万2千人ぐらいが受験していました。まずは短答式というセンターのような試験があります。どの受験生も早稲田・慶応・国立大学の受験性ばかりです。私と彼女のような日大クラスの受験生は10%もいなかったと思います。

 

ここでいきなり75%近く、9000人が落とされます。勉強慣れている高学歴の方でもガンガン落とされてしまうのです。彼女も緊張しながら試験に臨みました。

 

彼女は短答式に見事合格しました。最後の25%に残ったのです。これだけでも充分すごいことでした。しかし、会計士試験は次が本番となります。さらに論文式試験という最終関門に合格しなくてはならないのです。論文式試験の合格率は30%でした。

 

・人生を賭けた人達

ただの30%ではありません。直前期の専門学校では朝7時から自習室で勉強するための列ができます。そして帰るのは夜の9時。

 

会社員を辞め、排水の陣で挑んでいる人

6年間資格浪人をしている人

テレビ、漫画、恋愛・・・すべてを捨てている人

 

そんな人たちばかりの30%に生き残らなくてはならないのです。

 

 

2か月を過ごした後、最後の砦である論文式試験の受験を終えました。本当に大変だったと思います。

 

 

・落ちていたらなんて声をかけるか

3日の試験が終わった後、久しぶりに彼女に会いました。高校生が期末試験が終わったような開放感ではなく、燃え尽きた・・・といった雰囲気がありました。全てを出し切った人は遊ぼうなんて気にはなれないのかもしれません。

 

  

「どうだった?」と聞くと

「う~んわからない・・・」

 

 

彼女は控えめに答えました

 

 

わからないか・・・出来はイマイチだったのかな。難しい試験だもんな・・・・私はそう感じました。 彼女は 1055番(記憶が定かではないですが)という受検番号を教えてくれました。

 

 

合格が発表されるまでの期間、私は 

 

合格していたら・・・

 

 

なんて考えることはできませんでした。 私は自分で言うのもなんですが、「負け癖」が骨の髄まで条件付けされている人間でした。世の中はうまく行かない・・・という事を想像することばかりが得意でした。彼女にもその世界観を投影していました。

 

 

落ちていたら・・・

なんて声をかけよう・・・

 

 

そんなことばかり考えていました。彼女の合格の可能性は1割もないだろう。そんな気持ちになっていました。

 

 

・番号を捜す

当日、インターネットにかじりついて彼女の合格番号を捜しました。合格の番号を見ると、飛び飛びになっていることがわかります。

 

1021

1025

1030

・・・

・・・

 

番号、飛び飛びだなあ・・・

 

 

当たり前だけど落ちる人の方が多いな・・・たった4桁の数字の裏に、涙と、歓喜が入り混じっているんだろうな・・・

 

 

そう感じながら、番号を追っていきました。 

 

 

 1045

 

 

1048

 

 

1050

 

 ・・・

 

彼女の番号が目前まで迫ってきました。

 

 

 

邪念が多い私ですが、この時ばかりは

体中の神経が次の番号に集中していました。

 

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡122 会社員編 粘り強さの化身

コミュニケーション能力-講座の軌跡122 会社員編 粘り強さの化身

 

引きこもりから脱出し、就職した私は、充実したサラリーマン生活を送っていました。しかし、自分が作成した資料がきっかけとなり、尊敬していた先輩社員が辞めてしまうという事件がありました。その時期から再びコミュニケーションの勉強に没入するようになっていました。

 

 

・理解不能な粘り強さ

当時私には大学1年の冬頃から付き合っていた彼女がいました。大学2年の頃から一緒に会計士の勉強を始め、大学卒業後も粘り強く勉強を続けていました。

 

私たちには受験生と会社員という立場の違いがあります。試験前は月に1回、会えるかどうかだったと思います。しかし、縁が切れることはなく4年近く継続して付き合っていたのです。

 

彼女の最大の長所はその粘り強さにありました。一度机に座るとテコでも動かないのです。何時間でも平気で勉強できるのです。ADHD気味の私からすると考えられないことでした。コツコツと努力するという言葉かぴったりと似合う女性でした。

 

 

・ダメ人間に対しても粘り強い

さらには私と付き合っていたこと自体が信じられないことでした。特に対人恐怖のピーク時は彼女がいること自体おかしな状況でした。体重80キロで、毎日同じ服を着ていて、髪を鋤ハサミでカットして、かつコミュ障、陰鬱の塊のような人間だったのですから。

 

麻雀に狂って朝帰りを繰り返していた時期もありました。会計士試験を途中で辞めてしまったダメ男でした。余裕がないため、やさしい言葉をかけたことも少なかったと思います。付き合っているときはいつもイライラしていて、ムードもへったくれないデートばかりでした。

 

彼女はその全てに耐えて、会計士試験同様、私とも粘り強く付き合ってくれていたのです。私は彼女は粘り強さの化身だと思っていました。

 

 

・ 4年目のチャレンジ

 彼女は口には出しませんでしたが、非常に苦しい時期を過ごしていたと思います。会計士試験へのチャレンジは4年目を迎えていました。就職をしないで試験勉強に挑むというのは本当に精神的に堪えます。

 

20歳から24歳の頃の女性など一番青春をしてる時期です。オシャレをして、美容雑誌を見て、マニキュアをしてデートする。成人式に出て振袖を着て社会からお祝いをしてもらう。彼女はそういった青春とは無縁でした。

 

あるのは先の見えない会計士試験の勉強だけです。彼女は人生をかけて貴重な時間を自己研鑽に投資してたのです。それでも私のように見苦しく、負のオーラを全身から漂わせるでもなく、ただそっと努力を続けていました。

 

そうして暑い夏の日、いよいよ彼女は受験当日を迎えたのです。

 

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡121 会社員編 好きだった先輩社員の退社

コミュニケーション能力-講座の軌跡121 会社員編 好きだった先輩社員の退社

 

引きこもりから脱出し、就職した私は、充実したサラリーマン生活を送っていました。そんなある日、営業の木下さんが担当している九州地区の売上が減少していることがわかりました。社長の怒りは強烈でした。木下さんは次第に追い詰められていきました。

 

ある日、木下さんが、満を持して「九州改善計画」という企画書を提出すると、社長はその書類をゴミのように投げてしまったのです。

 

 

 ・社長の怒り

「木下君!こんな書類を作っている暇が

 あったら、さっさと営業にいきたまえ!」

 

社長の怒りの声が事務所内に響きました。

 

 

木下さんは返す言葉もなく自分の席に戻りました。

 

このときの木下さんの表情を私は忘れることができません。精気を失った顔で病人のようでした。顔は青ざめ、表情は完全に無くなっていました。絶望してたことがわかりました。

 

木下さんは間違いなくこの会社を愛していたと思います。入社当初から誰よりも元気に会社を盛り上げてくれていました。しかし、木下さんはそれから1か月後、会社を退社してしまいました。木下さんは本当に悔しかったと思います。

 

 

・成果主義の危険性

私は自分が作った指標の間違を確信しました。成果主義の指標を創ったのは私でした。会計上のデータに誤りはありません。会社という組織はたしかに数字が大事です。

 

しかし、数字だけで評価が決まってしまうことが果たして正しいのか?私は木下さんの退社を通して、そうではないと確信しました。木下さんは社交性もあり、考える力がある人材です。仕事も一生懸命していました。

 

もし数字があがらないとしたら、個人では対処不能な問題に巻き込まれているのかもしれない。社長が考案したビジネスモデルがそもそも間違っていたのかもしれない。

 

そういった数字には表れない部分は、全て切り捨てられてしまう。私の薄っぺらな人間理解。小頭を使った成果主義の指標は参考程度にしかならなかったのです。

 

もっと本質的な部分も評価する指標も加えるべきだった・・・

社長に導入する際に注意すればよかった・・・

 

私は自分の馬鹿さ加減にうんざりしてしまいました。 

 

 

 

・コミュニケーションの大事さを痛感

たしかに正社員を雇うということは大変なことです。1人正社員を雇えば、社会保険料や電話回線、場所の確保など1000万円はかかってしまいます。社長も文字通り人生を賭けて事業にかけているわけです。借金の保証人になって、会社を支えているのは社長です。仕方のない面もあるとともいます。

  

しかし、絶対にお互いが納得いく落としどころがあったはずです。問題はコミュニケーションのあり方です。何が原因でどうすれば解決できるか?をもっと考えるべきだった。社長の目の前にいたのに、私は木下さんを守ることができなかった。傍観してしまった・・・と自分を責めるようになっていきました。

 

 

そうして、

 

 

どうすればもっとうまく

コミュニケーションができたのだろう・・・

どうすればお互いもっと理解できるのだろう・・・

 

 

 

再び私はコミュニケーションや心理学の問題に興味を持ち始めました。

 

 

 

・再び心理学の世界へ

目の前にある仕事は現状維持であれば惰性で仕事ができるようになっていました。入社当時の情熱がなくなってくると、会社帰りに仕事とは関係のないコミュニケーションに関する本を読むようになっていました。

 

さらには、仕事をしている時も心理学や哲学のことを考えるようになっていきました。ミスも多くなってきて、初歩ミスで社長から怒られることもありました。このままではいけないと考えつつも、どうしても仕事のモチベーションが上がらず、コミュニケーションの勉強ばかりしていたのです。

 

 

そうして鬱屈とした生活が続いたころ、久しぶりにうれしい出来事が起こりました。それは当時付き合っていた彼女に起こった出来事でした。その出来事によって私の独立への意識が加速していくことになります。

 

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡122 会社員編 粘り強さの化身 - 川島ブログ

 

コミュニケーション能力-講座の軌跡120 会社員編 成果主義によって人間関係が壊れる

コミュニケーション能力-講座の軌跡120 会社員編 成果主義によって人間関係が壊れる

 

引きこもりから脱出し、就職した私は、社長の目の前の席に配属され、充実したサラリーマン生活を送っていました。日々の業務に完全に慣れ、積極的に発言するようになり、仕事が楽しい時期を過ごしていました。

 

しかし、入社後1年半のある日、独立のきっかけとなる出来事が起こったのです。( この話は内部的な話になるので少しだけ事実と変えて書きます。ご了承ください。 )

 

 

・成果主義の導入

当時、経営上の1つのトピックとして、成果主義の導入がありました。象徴的だったのが、日産の復活でした。倒産しかけた日産にゴーン社長が成果主義を導入し、V字回復したのです。このインパクトは凄まじいものでした。

 

年功序列が否定され、どの会社も成果主義を検討し始めていました。私は社長から指示を受け、営業の方の成果を把握できるシステムを創りました。ある程度知識がないとできない仕組みだったので、私はどんなもんだい!という気持ちになっていました。

 

 

・利益が出ていない地域 

成果を見てみると、ほとんどの地域で利益が出ていました。しかし、九州だけ利益が出ていませんでした。前年対比で、売り上げ40%ぐらい落ち込んでいたのです。それは1ヶ月単位ではなく数ヶ月に渡って続いていることがわかりました。

 

 

九州の担当は木下さんでした。

 

 

社長がその資料に目を通すと、表情が険しくなっていきました。

 

 

「どうして九州だけ売上が下がっているんだ!」

 

 

とイライラしはじめたのです。社長は普段ニコニコしていて人懐っこい性格なのですが、機嫌が悪いときは激しいものがありました。

 

 

 ・怒りの矛先

社長はその怒りを木下さんにぶつけ始めました。感情的に怒るのです。木下さんはただ落ち込むばかりでした。その日から木下さんは毎日にように怒られるようになりました。

 

私は自分が作成した資料のせいで会社内がぎくしゃくし始めたことに、戸惑いを覚えました。会社を壊してしまったような感覚でしょうか。取り返しのつかない指標を創ってしまった・・・と直観していました。

 

 

・青ざめた表情 

木下さんは誰よりも早く会社に来て、誰よりも遅くまで残業していました。入社したとき、緊張する私にはじめて声をかけてくれたのも木下さんでした。とっても元気な営業の先輩だったのです。

 

以前は元気に挨拶をしてくれていたのですが、暗い表情PCに向かっている姿ばかりをみるようになりました。木下さんは新婚でした。それでも営業成績を上げようと必至だったのです。

 

やつれた表情は次第に病的な顔に変わっていきました。表情がなくなり、心を閉ざしてしまっているのがわかります。それはまるで私が引きこもりをしていた時のようでした。

 

  

・就職氷河期は経営者が強い

社長の怒りは2か月程度続き、しまいには怒ることすら辞め、無視をするようになっていました。当時はまだまだ就職氷河期でした。人材を募集すれば湯水のように高学歴の方が集まる時代です。就職氷河期は経営者が強くなる時期です。

 

そんな中で業績のよい会社はとても力を持っています。多少強く言っても従業員は会社を辞めたくないから、理不尽な要求も通るような時期でした。従業員にとってみれば、嫌なことがあっても我慢を強いられる時期でした。

 

 

・木下さんの頑張り

そんな息も詰まるような雰囲気が流れていたある日のことです。木下さんが珍しく自分から社長の机に歩いていきました。そんな姿を見るのは数か月ぶりでした。

 

 

そして、

「九州地域売上改善計画について企画を練りました。

 目を通して頂きたいのですが・・・」

 

 

と思いつめた顔で社長に企画書を提出したのです。私は心の中で、ああ・・・木下さんも、必死なんだな・・・木下さん頑張って!とつぶやきました。 しかし、その次の瞬間信じられない光景を目にしました。

 

 

社長はその書類を一瞥するやいなや、その書類を汚いゴミでも見るかのように、投げてしまったのです。

 

 

 

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