川島ブログ 

コミュニケーション能力に関するブログを書いています。筆者は元引きこもり、ニート、現在はダイレクトコミュニケーションの講師をしている川島達史です。

コミュニケーション能力-講座の軌跡148 起業迷走編 自分との約束

コミュニケーション能力-講座の軌跡148 起業迷走編 

 

元引きこもりの私は、現実逃避の手段としてタイへ行くことにしました。アユタヤの農家と出会い、ついに私は「顔と顔を合わせたコミュニケーション」が生涯をかける仕事だと確信しました。

 

 

行動は早いに越したことはありません。さっそく私は日本に帰国をして、今後のやるべき基本原則を考えました。

 

① 日本一、勉強すること

まず何よりも、勉強を鬼のようにするということでした。1日8時間の勉強と、実践練習を2時間を自分の課題としました。コミュニケーションという分野においては、日本一の知識量を持つことを目標にしました。

 

② 絶対にあきらめないこと 

事業に対する姿勢としては絶対にあきらめないことを決めました。どんなに苦しい状態になっても、やり遂げる覚悟を心に決めました。文字通り人生をかける決意を固めました。方向転換は生涯しないことを誓いました。

 

③ 誠実に事業を行う

私はこれまでの人生、逃げたり、誤魔化したりする人生を歩んできました。能力の限界もあります。それでもこの事業に対してだけは、嘘をつかず、真摯に向き合い、正面からぶつかろうと決意しました。

 

この3つの原則を起業をしてから毎日できたわけではありません。しかし、迷った時や、心が折れそうになったときは、いつも思い出しながら仕事をしていました。

 

 

3つの原則をたてたあとは、さっそく次の日から勉強を始めました。コミュニケーションに関する、分野は本当に幅広く果てしない作業となります。とにかかく関連しそうな本や論文を片っ端から集めて、毎日読む生活をはじめたのです・・・・

 

しかし、その後1年近く、実際に起業することの厳しさを痛感することになります。そもそも「コミュニケーション」の分野で生計を立てていくのは非常に難しく、貯金が激減していきました。

 

およそ私はこの事業で会社を起こすと決めてから実に貯金の95%を失うことになります。そしてなにより、苛立ちの日々の中で我を失い、彼女からの別れを切り出されることになるのです。

 

 

「講師修行編」つづく

 

 

 

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起業迷走編はここで終了となります。ここまで読んで頂きありがとうございました(^^)次回は来月から、「講師修行編」を連載予定です♪ しかし、全然進みません笑 早く10年後に追いつきたいのですが。。

 

このペースだけ現実に追いつくのに3年ぐらいかかりそうだなあ。まあマイペースで書いていきます。

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コミュニケーション能力-講座の軌跡149 起業ニート編 もがき - 川島ブログ

 

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私川島達史は元引きこもりニートです。対人恐怖の克服体験、起業について執筆中です。対人恐怖の克服、どうして引きこもりがコミュニケーション講座を創ったのか?興味がある方は是非ご一読ください。


・軽度対人恐怖時代    1~32

・引きこもりピークに   33~56

・フリーター時代     57~82

・2年間の会社員時代   83~128

・起業ニート時代     129~187

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡147 起業迷走編 辿り着いた答え

コミュニケーション能力-講座の軌跡147 起業迷走編 辿り着いた答え

 

元引きこもりの私は、現実逃避の手段としてタイへ行くことにしました。アユタヤの寺院を巡りながら本当にすべき仕事は何か?を考え続けていました。結局、答えは出ませんでした。それでも答えに近づいているという手応えを感じていました。資金が尽きかけていた私は、とりあえずバンコクに戻ることにしました。

 

帰りも、ドアの無い貨物列車を選びました。貨物列車に乗り込むと、椅子がありません。平べったい床に、地元の人が雑然と座り込んでいました。みんな商売をしているようで、野菜や商品のようなものを電車に持ち込んでいました。

 

電車に乗り込んでいる乗客は、全員タイ人でした。外国人はいません。日本人の私はかなり目立っていたと思います。 

 

 

・視線を感じる 

タイの貨物列車のドアの無い窓から見える美しい景色を眺めていると、ふと近くに30代中盤ぐらいのタイ人の男性がいることに気が付きました。たくさんの果物や野菜を持っていたので、バンコクに行商にいく農家の方だったと思います。

 

その男性はどうも私に興味を持っているらしく、ちらちらとこちらを見ていました。そこで私は、このタイ人の男性に、声をかけました。英語は通じませんでした。そこで、私は観光ガイドの巻末についていた、タイ語の辞書を片手に会話をすることにしました。

 

 

サワディーカップ・・

 

と話かけました。

タイ人の男性はにっこりと

 

サワディーカップ

 

と挨拶をしてくれました。

 

挨拶の後は

  

どこから来たのか?

 

タイのどこをまわったのか?

 

なにをたべたのか?

 

 

辞書を片手に

一問一答の会話が続いていきました。

 

 

・幸せとは何か?

30分ぐらい会話をしたころでしょうか。

ふいにタイ人の男性が

 

 

タイ人が私の辞書を指さし、

お金 多い

という単語を示しました

 

 

君は日本人なのだからお金持ちなのか?

 

 

という質問なのだと思いました。

 

 

これは困りました。確かに私は現在無職でしたが、日本に帰れば多少なりとも事業資金をためていました。日本に帰れば、どうということもない金額、それでもタイの物価からすればお金もちの部類に入るでしょう。しかし、私はお金持ちという感覚は全然ありませんでした。ですので、

 

NO

 

と答えましした。

 

 

タイ人の質問は続きました。

 

 

幸せか?

 

 

という質問でした。私は幸せかと言われれば、幸せと言い切れることはできませんでした。今の自分の状況を幸せなど到底言い切れるものではありませんでした。私は困りながら、NOと答えました。

 

 

そうして私は逆に、タイ人に

 

幸せか?

 

 

と聞き返しました。そうすると、タイ人は満面の笑みで

 

 

yes!

 

 

と答えたのです。本当にこのときの笑顔を忘れることはできません。その笑顔は確信に満ちていました。

 

タイ人は続けました。

 

彼は貨物列車の奥の方を指を指したのです。

 

 

そこには、

 

 

彼の奥さん、小さな娘、商売仲間がいました

そして、彼は小さな娘を呼び寄せ

娘を嬉しそうに抱っこしたのです

 

 

・それははじめてみた光景ではなかった

 

私はこのとき、全ての答えがわかりました。

 

今までの人生の全てがつながった気がしたのです。

 

 

その光景は実ははじめてみた光景ではなかったのです

それの光景は起業を決意したきっかけと全く同じだったのです

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡14 半分は逃げるため-独立を意識 - 川島ブログ

お店には走り回っているオヤジの娘がいました。娘は商売を邪魔してオヤジにちょっかいを出します。オヤジは文句を言いながらも嬉しそうに抱っこしていました。また、近所の主婦から好かれているようで、冗談を言い合ったり、世間話をしていました。 

お世辞にもその八百屋はもうかっているという感じではありませんでした。しかし、そして近所の主婦と冗談を言い合い、娘が足にかきついているオヤジの表情はとてもにこやかでした。

目の前にいるちょっと小汚いオヤジが、私にとってとはても現実的で、血肉化された生々しい生き方をしていると感じたのです。

 私はこの時から、「自分で仕事をする」ということに興味と憧れを持つようになりました。

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 八百屋のオヤジの幸せそうな表情、

遠く離れたタイの男性の幸せそうな表情、

それはどこの国であろうが人種であろうが

不変的で本質的なものでした。

 

 

人間の幸せは、

 

 

人と人とが顔を合わせた暖かいコミュニケーションの中にある

 

 

「確信」したのです。人の幸せは人との繋がりにある。暖かい人間関係にある。人間関係は人と人との暖かいコミュニケーションのから生まれる。僕が一度しかない人生で生涯かけてやるべき仕事は

 

「顔と顔を合わせた暖かいコミュニケーションのある社会を創造すること」

 

であることを悟ったのです。  

 

 

・最初に答えは出ていた

「繋がりを求めて起業を決意した」最初から私は、この仕事に巡り合うために起業を決意していたのです。そんな当たり前のことにやっとやっと遠回りして気が付くことができたのです。

 

引きこもりになったことも、私の必然でした。この仕事をする上での修行だったのだと感じるようになりました。人生のあらゆることが、コミュニケーションという仕事のための土台になっていることがわかったのです。

 

私はやっと5つの条件を満たす仕事に巡り合えた気がしました。こうして私は8年かけて考えても出なかった答えにやっとたどりついたのでした。 

 

 

私は答えを下さったタイの国や人たちに感謝をして、

早速帰国し、今後の事業計画を練ることにしました。

 

 

(迷走編は次回で最終回です)

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡148 起業迷走編 自分との約束 - 川島ブログ

 

コミュニケーション能力-講座の軌跡146 起業迷走編 ワット・プーカオ・トーン

コミュニケーション能力-講座の軌跡146 起業迷走編 ワット・プーカオ・トーン 

  

元引きこもりの私は、現実逃避の手段としてタイへ行くことにしました。寺院を巡りながら本当にすべき仕事は何か?を考え続けていました。

 

私がアユタヤで一番気に入った場所がワット・プーカオ・トーンという仏塔寺院でした。この寺院の詳しい歴史は帰ってから知ったのですが、アユタヤ王朝の1世の王様が立てた寺院のようです。

 

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ここから見る景色が本当にすばらしいのです。寺院の上から見ると、心地よい風が吹き、一面の青空と、地平線が見えます。誰でも人生の素晴らしさを感じるのではないでしょうか。私はあまりにもこの場所が美しかったのでこの仏塔寺院の上に毎日のように登って、考え事をしていました。

 

 

僕のすべき仕事はなんなのだろうか・・・

それだけをぼうっと考えていました。

 

・野宿に慣れる 

気に入ったので、ワット・プーカオ・トーンの周辺でよく野宿をしていました。朝、ワット・プーカオ・トーンの周りで起きて、別の遺跡を見に行く。夜は戻って野宿をするという生活を数日しました。

 

この頃になると野宿にある程度慣れてしまっていました笑 人間とは慣れてしまうものです。星空と虫の鳴き声を聞きながら、ゆったりと寝るのは、最高の贅沢でした。最も蚊に刺されまくりましたが。

 

 

・答えに近づく

ゆったりとした時間の中で考え続けると、答えが出てきそうな予感を感じていました。手のひらに答えが乗っている感覚です。うまく説明できません。

 

たぶん人の幸福に直結する何か・・・

  

それは確実でした。

 

人の幸福に直結する何かを僕はやるべきだと感じていました・・・

 

結局私は、すべての遺跡や寺院を徒歩で周りました。具体的な事業はわかりませんでしいた。しかし、全ての寺院を見終わると、直観的に答えがもうすぐ見つかる気がしていました

 

 

・バンコクへ戻る

  アユタヤにはもう少しいたかったのですが、手持ち資金が400バーツぐらいになっていました。無一文になったときのリスクを考えて、バンコクに帰ることにしました。帰りは行きと同じく、貨物列車にしました。タイの素晴らしい景色を見たかったのです。

 

この帰りの貨物列車で、あるタイ人と出会い、8年かけても出なかった答えをついに得ることになるのです。

 

 

 (起業迷走編はあと2回で終わりとなります)

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡147 起業迷走編 辿り着いた答え - 川島ブログ

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡145 起業迷走編 アユタヤに向かう

コミュニケーション能力-講座の軌跡145 起業迷走編 アユタヤに向かう

 

元引きこもりの私は、現実逃避の手段としてタイへ行くことにしました。寺院を巡りながら本当にすべき仕事は何か?を考え続けていました。私は16歳から自営業をしようと考えていましが、もう8年、自分がすべき仕事を悟ることができていませんでした。

 

しかし、寺院巡りをしていると、もやもやとしてはいますが、答えが近づいてきているという予感はしていました。そしてその答えが見つかるまで、日本に帰るつもりはありませんでした。

 

 

・アユタヤを知る

この頃になるとインド人の安宿周辺でちょっとした顔見知りはできるようになっていました。屋台でご飯をおごってもらったこともありました。

 

仲良くなったタイ人に、ナンプラーをタイのおいしいドリンクだ!と騙されて一気飲みさせられたこともありました。壮大に道端に吐いたこともありました笑 みんな指を指して笑っていましたね。

 

仲良くなったタイ人と会話をしていると、バンコクから電車で3時間ほど移動すると、アユタヤという遺跡群があることがわかりました。アユタヤではユネスコ世界遺産に指定されている古代の寺院がみれることがわかりました。

 

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・ドアが開きっぱなしの貨物列車

そこで私は、アユタヤへ電車で行くことにしました。手持ち資金は再び少なくっていて、800バーツぐらいしか残っていませんでした。

 

電車には 

 

観光客用の綺麗な電車

安い貨物列車

 

の2種類がありました。

 

 

私は迷わず安い貨物列車を選択しました。確か、80バーツぐらいだったと思います。非常に安くて助かりました。電車に乗ると、周りはタイ人だらけで外国人は私だけでした。商売をしている人が多いのか?みんな大荷物を抱えて電車に乗っていました。

 

 

・タイの美しい田園風景

この電車が非常に気持ちがよく、搭乗口のドアが開きっぱなしっで走っていくのです。日本だったらドアが開きっぱなしで走っていたら新聞沙汰になりますね笑

 

搭乗口に腰を掛けると気持ちのよい風が吹いています。

 

田園、畑、南国の自然が移ろいでいきます。農村というのはどの国も共通して美しいものです。私はバンコクからアユタヤに向かう間中、ドアなしの搭乗口に腰かけて景色に見とれていました。

 

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・アユタヤを徒歩で回る

アユタヤにつくと、タイ特有のうさんくさいおじさんが、怪しい笑みを浮かべながら5人ぐらいと近寄ってきました。

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しかし、怪しいおじさんに関わると

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 *賭博破壊録 カイジ 人食いパチンコ編2 アンコール刊行 より引用

 

こうなることはわかっています。

 

 

さらに私はお金がありません。結果的に徒歩でアユタヤの寺院を歩くことにしました。

  

しかし、この選択はかなり厳しかったです。というのもアユタヤはめちゃめちゃ広く、一つの寺院からもう一つの寺院まで数キロあります。京都観光を徒歩ですべて回るような感覚です。

 

 

・再び野宿生活

1つ1つの遺跡をじっくり見ていると、2か所ぐらい遺跡を周っただけで、夜になってしまいました。当然宿に泊まるお金はありません。

 

結局、寺院の傍らで再び野宿をすることになってしまいました。しかし、不思議なもので、バンコクの野宿と違い、自然の中で寝るということは、どこか穏やかに気分になることができました。

 

こうして私はアユタヤで自分の人生と向き合う日々を過ごすことになります。 

 

 

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・引きこもりピークに   33~56

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コミュニケーション能力-講座の軌跡144 起業迷走編 ドライフルーツ事業と違和感

コミュニケーション能力-講座の軌跡144 起業迷走編 ドライフルーツ事業と違和感

 

元引きこもりの私は、現実逃避の手段としてタイへ行くことにしました。タイに到着するとトラブルに遭遇し、ほぼ無一文となり、路上生活する羽目になります。その後、電子辞書を売却し、手持ち資金を回復させることに成功しました。

 

その日から私は初心に帰り、起業のアイデアを求めて、再び町中を徘徊することにしたのです。

 

・ドライフルーツ事業

将来性を感じたのはドライフルーツでした。ドライフルーツはタイでメジャーなおやつです。値段も手ごろで、日持ちします。在庫リスクがなく、ヘルシーでダイエット食にもなります。

 

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ドライフルーツのノウハウを勉強して、タイの農家の方と直接契約をすれば、仕入れ値を安く抑えられ、価格的にも優位に立てるのではないか・・・と考えました

 

その日から私はドライフルーツを目にする度に、味、種類、値段をメモ帳に書き込んでいきました。気のよさそうな商店主であれば、金持ちの日本人のフリをして会話をして、仕入れ先の会社などを抑えていきました。

 

フルーツというのは、どこか幸福なイメージがあります。例えば、桃が1つ視界にあるだけで随分違った景色になります。フルーツに囲まれた人生も悪くない。

 

 

・5原則と比較する

しかし、商品を捜しながら違和感も感じていました。私は、当初起業をするにあたって5つの誓いを立てていました。

 

 

・一生の仕事とすること

・人生を賭ける価値のあること

・正業であり、人の役に立つこと

・システムがもたらす業種ではないこと (川島の経営感

・短期的な分野ではなく、長期的な視点で 考える

 

 

ドライフルーツ事業は、間違いなく正業です。システムがもたらす業種ではありません。「おいしい」という幸福感に結び付く仕事でもあります。

 

 

しかし、何かが腑に落ちないのです。

 

 

・人生を賭ける価値

それは「人生を賭ける価値のあること」という項目でした。この項目からは外れてしまう気がしたのです。ビジネスに優劣があるわけではありません。ドライフルーツも立派な正業です。天の恵みを取り扱う崇高な仕事です。

 

 

ただ・・・ただ・・・何かが引っかかる・・・

 

 

直観的にですが、あくまで私がすべき仕事は別の所にある気がしていたのです。無意識が私には別の仕事がある。と訴えているのです。しかし、わからない。無意識はそれを教えてくれません。

 

一方でもうタイムリミットは当に過ぎています。5原則にこだわっているよりも、前進することは重要なのではないか?という迷いも生じてきていました。 

 

 

・自問自答と仏教

自問自答を始めると、自然とタイある仏像に目が行くようになっていきました。タイは上座部仏教を大事にするお国で、日本よりも仏教が生活に根付いている国です。様々な表情を持った仏像をめぐるのが楽しみになっていました。

 

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私は引きこもっていた頃に、仏教の勉強をしていた時期がありました。仏教の入門書を読んだり、般若心境を3日間かけて解読したこともありました。

 

般若心境は結構、投げやり?かつ潔い考え方です。

 

君の悩みなんてあるようでないんだよ。

だからまあ・・・そうくよくよ悩むな

どうせすべては移り変わっていくんだから

 

そう学びました。

 

 

親鸞の「平生業成」という考え方も好きでした。この平生業成という概念は難しいのですが、私なりに以下のような解釈しました。

 

人生には目的がある

 

その目的は

人として生まれたこと自体に感謝する

ことである

 

そのことに早く気が付きなさい

気が付けば今すぐ幸せになれるのですから

 

 

 

・幸せとはなにか?

仏教を身近に感じる国にいると、引きこもり時代に勉強した仏教の記憶が戻っていきました。そうして私は、ドライフルーツ事業を考える時間と同じくらい、お寺を周り、考えるようになっていました。

 

 

生まれてきたことに感謝する・・・確かにそれだけでも幸せだ。そうかあ。生まれてきたことに感謝できれば、いつでも幸せだ。

 

でも待てよ・・生まれてきたことに感謝できる人もいれば、感謝できない人もいる。この違いはなんだろう。

 

人はどうすれば生まれてきたことに感謝して、幸せになることができるのだろうか? 24歳の無職の私は、そんな身分不相応なことを考えるようになっていました。

  

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡143 起業迷走編 sonyの電子辞書

コミュニケーション能力-講座の軌跡143 起業迷走編 sonyの電子辞書

 

 元引きこもりの私は、現実逃避の手段としてタイへ行くことにしたのです。タイに到着するとレディーマッサージトラブルに遭遇し、資金の大半を失ってしまいました。そして3日間の路上生活の後、200円の安宿で、なんとか凌いでいました。しかし、ついに残りの資金がゼロになってしまったのです。

 

・労働と引きかえに泊めてもらう?

この時点で日本への帰国を決断するのが正常な思考と言うものです。しかし、日本に帰ったところで、再び陰鬱で不毛な日々を浪費することは目に見えていました。かの絶望的な日常に戻るのはこりごりでした。

 

そこで、SONYじいちゃんに、掃除や荷物運びの雑務と引き換えに、宿泊を延長してもらえないか?交渉することにしたのです。

 

 

・交渉に臨む

SONYじいちゃんはもう高齢です。英語で会話をしても、うまく意思疎通ができるか自信がありません。そこで私は、あらかじめ英語を文章に書いて交渉することにしました。

 

そういえば私は電子辞書を日本から持ってきてました。

 

タイに来てから精一杯で、すっかり忘れていましたのです。私は久々の電子辞書を活用することにしました。

 

 

・SONY電子辞書

 

ええと・・・電子辞書・・・電子辞書・・・

 

あった、あった・・・ 

 

さて交渉用の文章を作成するか・・・

 

ん・・・

 

あれ・・・

 

SONY?!

 

これSONYの電子辞書だ・・・

 

SONYと言えば

SONYじいちゃん?

 

 

この電子辞書、SONYじいちゃんに売れるんじゃね?

 

 

・SONYじいちゃん電話をかける

この電子辞書は会社員時代よく使っていたので愛着がありました。しかし、背に腹は代えられません。sonyじいちゃんに買い取ってもらえないか?交渉することにしたのです。

 

たしか2万円(8000バーツ)以上、した愛着のある辞書でした。私も簡単には売りたく無かったので必死でした。

 

sonyじいちゃんに買い取りを持ちかけると、sonyの文字を見て目を見開いて反応してくれました。やはりSONYは強いです。そうして、フガフガ・・・言いながら、どこかに電話をかけはじめました。電話が終わると具体的な交渉が始まりました。

 

 

・1500バーツの大金!

SONYじいちゃんの最初の言い値は1000バーツでした。定価の7%ほどです。しかし、どうせならもっと高く買って欲しいと考えた私は、

 

 

NONONOー!

デスイズ ウルトラ ハイパー ブランド SONY

アンダスタン?? ベリー ベリー イグペンシブ!

 

 

1000バーツ? オハナシニ ナラナイデスヨ

5000バーツ!! 5000バーツ!

 

 

と定価よりも高い値段で交渉をはじめたのです。もちろん5000バーツで売れるなんて思ってもいません。しかし、どうせなら高い金額を提示時たれ。と考えていました。

 

そして、交渉の末、1500バーツ(4000円)で買い取ってもらえることになったのです。定価の2割程度でしたが、無一文の私にとっては非常にありがたい資金となりました。SONYじいちゃんと最後はお互いニッコリ笑顔で握手をしました。

 

 

 1500バーツあれば、この安宿なら2週間ぐらいは連泊できそうです。首の皮一枚つながったことに安堵しました。あまりにもおなかが減っていたのでお金をもらった瞬間300バーツぐらい屋台で浪費してしまいました。

 

 

それでも1200バーツ余っています。ある程度余裕はできました。しかし、ビジネスにたどり着いていないという現実は変わりませんでした。次の日から本格的に商品捜しに出ることになるのです。

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡144 起業迷走編 ドライフルーツ事業と違和感 - 川島ブログ

 

コミュニケーション能力-講座の軌跡142 起業迷走編 SONYじいちゃん 75バーツ 200円の宿

コミュニケーション能力-講座の軌跡142 起業どん底編 SONYじいちゃん 200円の宿

 

元引きこもりの私は起業をするために退職しました。陰鬱な日々が続く中、現実逃避の手段としてタイへ行くことにしたのです。タイに到着するとレディーマッサージトラブルに遭遇し、路上生活を強いられていました。残りは300バーツ(900円ぐらい)になっていました。

 

・腐臭漂う

タイは暑いので汗をかきまくっていました。体から異臭がするのがわかりました。持ってきた洋服はTシャツ3枚だけです。汗臭いので、トイレでシャツを洗い、公園で天日干ししました。

 

しかし、全身の汗臭さは取れません。とりあえずタオルを濡らして全身をふきましたが、焼け石に水です。風呂に入りたい・・・とすごく感じました。

  

・徘徊 

町中を徘徊し続けると、バンコク市内の地理がわかるようになっていきました。観光客がたくさんいる、にぎやかなカオサン通り、電車などもある近代的なバンコク中心部、雑然とした工業地帯・・・

 

  

そして、インド人街がありました。ターバンを巻いているインド人がゾロゾロと歩いていました。 

 

 

・INN75バーツ

物珍しくインド人街を放浪していると、INN75バーツという手書きの文字を発見しました。

 

ええ!!75バーツ(200円ぐらい)??

 

75バーツと言えば手持ち資金300バーツでも3~4泊行ける金額でした。しかし、75バーツの宿というのはタイの中でも破格でした。どう考えてもあやしいです。

 

看板の向こうには、2階に続く階段がありました。その階段の入り口に70歳ぐらいのターバンを巻いたおじいさんがいました。おじいさん認知症なのか?誰もいないのに何か1人でフガフガ言っています。

 

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*作画 みちさん協力 

 

そして、不思議なことに、なぜかそのおじいちゃんの横には、「SONY」と書いた大きな箱が置いてありました。電化製品を転売?などもしてビジネスをしているのだと考えました。わたしはこのおじいちゃんをsonyじいちゃんと名付けました。

 

 

 ・75バーツの部屋のクオリティ

sonyおじいちゃんに話かけると、フガフガ・・・と返してきました。何を言っているのは分からなかったのですが、表情から泊まれると言っているようでした。

 

3日間体育座りで野宿して体がおかしくなっていた私は、75バーツをじいちゃんに渡しました。するとじいちゃんは100均で売って良そうな南京錠を渡してくれました。。

 

2階に上がるとそこは、雑然とした倉庫のような空間になっていました。私の部屋の前にも何から箱詰めされた商品が置いてありました。

 

私の部屋は、漫画喫茶よりちょっと広いぐらいの小さな個室でした。そして、本当に洗っているのか?という汚い布団と別途があるだけの簡素な部屋でした。ホテルというより、倉庫置き場の1室という感じしいた。

 

 

・シャワーのありがたさ

しかし、嬉しいことにその宿は、共同のシャワーがついていたのです。むろん、シャワーと言っても、水しかでません。

 

それでも、充分でした。

 

私は汗まみれになったTシャツを洗い、体にこびりついた腐臭を洗い流し、やっと人並みの気持ちになって、布団で寝ることができたのです。

 

 

しかし、この宿に3日間泊まると、ついに資金が底をついてしまいました。財布を何度みても、残金はゼロ円です。私は再び頭を抱えることになります。

 

 

 

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