川島ブログ 

コミュニケーション能力に関するブログを書いています。筆者は元引きこもり、ニート、現在はダイレクトコミュニケーションの講師をしている川島達史です。

対人恐怖症克服期185 起業ニート編 フランクルの言葉

対人恐怖症克服期185 起業ニート編 フランクルの言葉

 

引きこもりから起業ニートになった私は、コミュニケーション講座を開講することにしました。しかし、生徒さんが1人も集まらず、資金が枯渇してしまいました。借り入れを起こすため、国の金融機関で面接をしたのですが、門前払いを受けてしまいました。

 

・駐車場でうずくまる

ビルを出ると私は歩く気力がなくなり、フラフラと駐車場の片隅にへたり込んでしまいました。動悸がして、崖から滑落していくような感覚が続いていました。

 

私は路上で絶望しているとき、誰か助けてくれないか?なぜかありえない願望を抱きました。辛い気持ちに寄り添ってくれる誰かが、ふいに現れ、そっと話をきてくれないだろうか・・そんな助けを求める気持ちでいっぱいになっていました

 

しかし、当然誰一人声をかけてくれません。私は孤独でした。全てを抱え込み、私の事業の思いを理解してくれる人はだれもおらず、親しい人から、社会から、NOを突き付けられ、本当につらかった。

 

・美しい秋晴れ

私はしばらく頭を抱え、呼吸を正常に戻すことに専念しました。

 

1時間ぐらい立つと少しだけ平静を取り戻しました。

 

そして・・・

 

不意に私は天を仰ぎました。

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私はあっけにとられました。

 

美しい秋晴れの空がそこにあったのです。

 

なぜか、その空が限りなく美しいのです。

 

秋の高い空が、地球を覆ってくれて、守ってくれている。薄い青色の空に、雲がふわふわと浮いていて、ポカポカと暖かい。

 

私の人生の緊張感とは真逆でした。

 

弛緩し、幸福感に溢れた

世界が頭上には広がっていました。

 

それはデジャブに近い感覚でした。

 

どこかで見た感覚だ・・・

 

と感じました。

 

内省してみると・・・

 

 

デジャブの源泉はフランクルが書いた「夜と霧」にある文章であることを思い出しました。フランクルはユダヤ人として迫害を受け、収容所の中から奇跡的に生還した精神科医です。フランクルはロゴセラピーという心理療法を提唱します。

 

人間はどんなに辛い状況でも、自分の人生を意味あるものにしたいという

「意味への意志」

を持つとする心理療法です。例えばフランクルは絶望的な収容所の中で以下のような出来事があったといいます。

 

***************

「また収容所で、作業中にだれかが、そばで苦役にあえいでいる仲間に、たまたま目にしたすばらしい情景に注意をうながすこともあった。・・・・わたしたちは、暗く燃えあがる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。

「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」

*****************

V・Eフランクル 夜と霧 池田香代子訳、みすず書房より

  

・ポカポカと暖かい

絶望的な収容所の中でさえ、人は自分の人生を幸福なものとして意味を見出す心の動きがあったのです。私はフランクルの意味への意志を少しだけ理解した気がしました。

 

空をまじまじと眺めるなんて15年ぶりだったかもしれません。いや人生ではじめてだったかもしれません。空をみればこんなにも美しい景色が広がっていたなんて・・・不思議な気持ちになっていました。私はしばらくその秋晴れを眺めぼうっとたたずんでいました。 孤独だけどそれとは無関係にこの世の中は美しいなと感じました。

 

その美しさの真下でポカポカと暖かい日にあたっていると、自分のどうしようもない状況を太陽が暖かく励まされているような感覚になってきました。

 

・意味への意志  

人は、心底辛い状況の中でも、絶望することなく、人生を意味のあるものにしようと、「意味への意志」を模索するのだと、美しい秋空を見ながら感じていました。

 

何度も何度もくじけそうになったけど、それでも人間は自然と自分の意志を持って意味のあるものにしようともがくのだと感じました。

 

私は辛い状況にいる生徒さんでも、意味への意志をしっかり汲み取れる講座を作りたいと考えていました。きっとどんなにつらい状況の中でも本人は生きる意志を育てようとしているはずだ。それを探して受け止めて、健全に育てていけるような講座にしたい。

 

生徒さんが一人もいない状況の中でのおかしな話ですが、そんなことをぼうっと考えていました。

 

 

・いくばくかの気力をとりもどす

3時間ぐらい駐車場にいたでしょうか。

完全に不審人物だったと思います。

 

 

私はいくばくかの気力を取り戻し、

自宅に帰宅しました。

 

 

あたりは暗くなっていて、

あの美しい秋晴れの空から

また暗い夜がやってきていました。

 

 

私はいつもの屋根裏部屋に戻ると

消費者金融を最終的に選択すると腹を決め、

PC 画面をひらいたのです。

 

 

そして、その日に、

人生を変える奇跡

が起こっていたことに気が付かされるのです。

それは我が目を疑う出来事でした。 

 

 

対人恐怖症克服期184 起業ニート編 資金枯渇

対人恐怖症克服期184 起業ニート編 資金枯渇

 

引きこもりから起業ニートになった私は、コミュニケーション講座を開講することにしました。しかし、生徒さんが1人も集まらず、資金が25万円近くまで減ってしまいました。最期の賭けとして「有料リンク」に投資をしたものの、アクセス数に変化はなく、いよいよ借金せざるを得なくなってしまったのですね。 

 

・借金という重圧

リンクの効果がないとわかると、私はとりあえずホームページに一区切りを付けました。精神衛生上よくないので、しばらくアクセス数を見ないことにしました。いったんお金のことを本気で考え、できる限り有利な条件で借金をしようと考えたのです。

 

いざ消費者金融の資料を眺めると、やはり金利の高さが目につきました。当時は出資法改正前で、大体15~20%ぐらいが多かったと思います。

 

300万円を借りると、年間で60万円の金利がかかる計算でした。さらにそれがさらに膨らむと、432万518万とどんどん膨らんで行くことになります。

 

数日間悩みました。

 

⇒ 仮に432万円になってしまったら・・・

⇒ 借金を返済するのに2~3年はかかる

⇒ 返済後、起業を資金を貯めるとすると
  さらに2~3年かかる

 ⇒ その頃には32歳になっている

 

私は32歳ぐらいになるまで次の手を打てないのではないか?と感じはじめていました。失敗すると次にチャレンジできるのは6年後・・・

 

20代後半はビジネスマンとして脂がのった時期です。6年間はあまりにも大きい。そう考えると、体が固まり、すぐに消費者金融で借金をすることができませんでした。

 

・体重激減

ここ数か月、食欲がなくなってしまっていて、ご飯をあまり食べていませんでした。久しぶりに体重を図ると57キロまで減っていました。太っていた時期は80キロあったので、23キロも痩せてしまったことになります。鏡に映る自分がげっそりしているのがわかりました。

 

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・政府からの借金

消費者金融以外の道も模索してからでも遅くない。私は政府系金融機関からの借金も考えました。開業資金の調達先としては、日本政策金融公庫が有名です。日本政策金融公庫は、比較的容易に開業資金を融資する方針を取っていました。

 

そこで私は、3日程度かけて事業計画書を作成し、緊張しながら担当の方との面接に臨みました。しかし、結果は門前払いでした。というのも私は既に起業済みだったからです。日本政策金融公庫は起業前なら、比較的借りやすいのですが、起業後は審査が厳しくなります。

 

さらに私は、1年近く売り上げがゼロ円でした。トドメとして私はどうやって生徒さんを集めるか?そのノウハウすら全くなかったのです。

 

コミュニケーション講座というコンセプトも全く理解をされませんでした。担当の方は、時間の無駄とばかりに、事業計画書に全く興味を示さず、まるで路傍の石をみるかのような無関心さと共に、早々と切り上げていきました。

 

 

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 ・駐車場の隅にへたり込む

担当の方の無関心さに直面すると、私は今までどうにか、洪水にならないように保っていた精神のダムが、ついに決壊してしまった感覚がありました。心の隙間にヒビが入り、マイナスの感情が噴出していきました。

 

自暴自棄で陰鬱な感情が襲い掛かってきました。身体が鉛のように重くなり、私はビルを出ると、フラフラと駐車場の端っこにヘタりこんでしまいました。そして、文字通り頭を抱えて動けなくなってしまいました。

 

もう限界だ・・・

 

頭を抱えながら私はこの10年碌なことがことがなかったことを回想していました。会計士試験に落ちて、人が怖くなり、引きこもり、彼女にフラれ、家族とも会話がなくなあってしまった。

 

僕のことなんか誰も必要としていない・・・

もうどうでもいい・・・

 

 

そんな気持ちが襲い掛かってきました。

 

 

駐車場の周りには

人の足音が聞こえています。

 

 

誰か助けて・・・

 

と言いたい衝動にかられました。

 

 

 

 

 

 

対人恐怖症克服期183 起業ニート編 3000本のリンクドーピング

 対人恐怖症克服期183 起業ニート編 3000本のリンクドーピング

引きこもりから起業ニートになった私は、コミュニケーション講座を開講することにしました。しかし、生徒さんが1人も集まりません。400万円の起業資金が25万円近くまで減ってしまいました。私は苦渋の決断として、資金が枯渇したら、借金することを決意したのです。

 

・借金=罪?

借金をすると決めたものの、私は何か重大な罪を犯すような気持ちになってしまっていました。越えてはいけない一線を越えてしまうような感覚です。ただここまで来たら後戻りはできないのです。

 

ついに借金生活になってしまう・・・

どうにかしないと・・・

どうにかしないと・・・

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借金というプレッシャーを受け、私はなんとかその厄災から逃れようと、狂ったようにWEBに関する知識を吸収していきました。この時PCの画面に反射して写りこんでいる顔を見ると、青白く、無表情で、目が据わっていました。追い込まれている人間の姿がそこにはありました。

 

・突破口どこにある?

ホームページを作成しはじめて2か月・・・私は少しずつではありますが、WEBマーケティングのノウハウを理解し始めていました。広告として明らかに効果があるのは、

 

「リンクをもらうこと」

 

だと明確になってきたのです。実際、YAHOOカテゴリに登録してリンクをもらうと明らかに効果がありました。また他社サイトの分析をすると、リンクが複数貼られていることが多かったのです。

 

突破口はリンクにある!私は確信を深めていきました

 

「リンク リンク リンク」

 

 とにかくリンクがほしいと感じました。

 

そこで、リンクについて徹底的に調べてみると、有料でリンクを張ってくれる業者があることが分かったのです。YAHOOカテゴリだけだと思っていたのですが、そのほかにも複数の会社が存在していました。

 

・ネットルールが不明確な時代 

この「有料リンク」という手法は「作為的である」ので、現在はほぼNGになっています。有料リンクは政治家がお金を払って投票をしてもらうようなものなのです。

 

しかし、当時はまだまネットのルールは不明確で、何が正解で何が不正解なのか、コンセンサスが出来上がっていませんでした。自分をかばうわけではないのですが、当時はそこまでNGというわけでもなかったのです。藁にもすがりたい私は、残り資金で有料リンクを張ってくれる業者を複数探しました。

 

・3000本のリンクが貼られる

リンクを貼ってくれる業者は怪しいと会社ばかりでした。

 

リンク500本貼ります!

1日10本のリンク保証!

弊社リンクで検索順位3位達成!

 

こんな煽り文句が並んでいます。どういう分けか、住所も電話番号もない会社もありました。

 

それでも我を失った私は 

どれか当たれば御の字だ・・・

1社ぐらい効果を発揮してくれれば・・・

 

との誘惑に取りつかれ、5社程度の業者に残り資金のほとんどを使い、片っ端からリンクを張ってもらったのです。

 

結果的に、YAHOOカテゴリ1本だけだったリンクが大量に増えて、私のサイトは3000本のリンクが張られているサイトになりました。 

 

・案の定効果なし

しかし、この投資はかなり投げやりな気持ちでした。とにかく私は徹底的な負け癖が染みついていたので、何をやっても結果はでないというような気持ちになってしまっていました。リンクドーピングもどうせ結果には繋がらないという妙な諦観めいたものがあったのです。

 

とにかく私は対して期待もせず、数日感ホームページのアクセス数を眺めていました。

 

 

そして・・・

数日間・・・

じっと眺めていたのですが・・・

案の定アクセス数に変化はありませんでした。

 

 

ああ・・・やっぱりか・・・

こんなお手軽な作戦で

結果が出るわけがないよな・・・

また騙された・・・

 

私は、世の中全体に足元を見られ、お金をむしり取られているような気持ちになりました。リンク業者がハゲタカに見えました。

 

そしていよいよ残り資金はほぼ尽きた
といっていい状況になってしまいました。

 

私はダイコミュを存続させるため、

借入について資料を集めることにしたのです。

 

 

 

 

対人恐怖症克服期182 起業ニート編 消費者金融を使う覚悟

対人恐怖症克服期182 起業ニート編 消費者金融を意識する

 

引きこもりから起業ニートになった私は、コミュニケーション講座を開講することにしました。しかし、生徒さんが1人も集まらず、資金が25万円近くまで減ってしまいました。追い込まれた私は最後の賭けとして、ホームページを自作し公開しました。どうにか40人ぐらい来訪するサイトにはなったものの、以前引き合いはありませんでした。

 

・打つ手なし

資金がほぼ尽きかけ、いよいよホームページについても打つ手がなくなってきました。自分なりに精一杯努力して、講義を作り、チラシを配り、ホームページも作成しました。

 

そして忠犬ハチ公ばりに、

生徒さんが講座に来ることを

ずっとずっとずっとずっと、

待っていました。

 

 

しかし、待てども待てども生徒さんからの問い合わせは来ませんでした。

 

私は心の奥底から完全に負けグセが身についてしまっていました。いくら努力しても結果が出ないのです。結果が出ないことが永遠に続くような感覚がありました。

 

あと数年、いや死ぬまで日の目を見れないかもしれない・・・。そんな気持ちになっていました。普通の思考回路であれば、就職活動を始めてもいいぐらいです。それでもどうにか前を向いて、踏みとどまることができたのが

  

 

 「コミュニケーションの問題に

 本気で取り組む象徴となる会社がないのは

 社会として絶対におかしい!!」

 

 

という決定的な確信があったからです。コミュニケーションに関する講座は、資格商法やマルチの温床のような講座ばかりでした。健全にコミュニケーションの問題が解決する会社がないということは、いつまで経っても引きこもりや、虐待の問題は解決できないのです。

 

多分私が諦めると、

救えるべき人が救えず、死んでしまう人がいる

生まれてくるべき命が、生まれてこない

なくても良い人間関係の争いを止めることができない

 

という感覚がありました。理屈ではなく直感でした。そしてそれは確信でもありました。私はどんなことがあっても会社を辞めることはない!と心の中で決めていました。

  

・アルバイトと消費者金融に目が行く

しかし、やる気だけで会社が存続できるわけではないのです。資金はほとんど残されていませんでした。私は現実と向き合わざるを得なくなっていました。私は考えたくもなかった資金の捻出について向き合うことになったのです。

 

そうして自分の頭と格闘した結果、3つの作戦を考えました。

 

 

作戦1ーアルバイト

再びアルバイト雑誌を手にするようになりました。とりあえず日銭を稼いでどうにか事業を続けることを考えました。コミュニケーション能力を磨きたかったのでマクドナルドや営業のバイトなども考えました。

 

作戦2ー社長に懇願

前の会社にお願いして、週2ぐらいで良いから社長にお願いして仕事をもらえないかとも考えはじめていました。人情味のある社長なので、きっとOKはもらえる気がしました。

 

ただ、1の作戦、2の作戦、共にアルバイトをすると、ズルズルと時間だけを失ってしまうような気もしていました。そこで考えたのが作戦3でした。

 

作戦3ー消費者金融

時間を失うぐらいなら・・・消費者金でお金を借りて、借金をしながら会社を続けるのも良いのではないか?と考えました。無収入でもかき集めれば300万円ぐらいは借りることができそうです。金利は高いですが、ギャンブルの借金ではないのです。消費者金融で借りることも現実味を帯びていました。

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私は作戦1,2,3ですごく悩みました。

 

・時間を優先し借金を決意する

最終的には3つ目の借金を選択することを決めました。最後の25万円が枯渇してしまったら、お金を借りて、自分がやりたいと思うことに人生をかけようと決意を固めました。

 

開き直って、

いくところまで行ってやる!

 

破滅思考に取り憑かれた私は残り資金25万円をすべて使いきる決意を固め、再びホームページの研究に取り掛かることにしたのです。会社を辞めてから1年が過ぎようとしていました。

 

 

 

 

 

 

対人恐怖症克服期181 起業ニート編 孫さんへのお布施

怖症克服期181 起業ニート編 孫さんへのお布施

 

引きこもりから起業ニートになった私は、コミュニケーション講座を開講することにしました。しかし、お客様が1人も集まらず、資金が25万円近くまで減ってしまいました。追い込まれた私は最後の賭けとして、ホームページを自作し公開しました。どうにか20人ぐらい来訪するサイトにはなったものの、以前引き合いはありませんでした。

 

・家族との関係

会社員をやめ、会社を作ったものの、10か月あまり何一つ成果が得られず、極限まで追い込まれていきました。標高5000メートルぐらいの山で暮らしているような、酸素の薄さを感じていました。

 

そして私の人生のエラーは家族にも大きな負担になっていました。

 

私は両親の同意を得ることなく、突然会社をやめ起業しました。何をするか?なんてまともに説明をしたことはありません。25歳の息子が何をやっているかもわからず、3階の屋根裏部屋に引きこもっているのです。説明もなく、顔色も悪く、会話もない。挙句の果てに生活費を入れることもないのです。

 

父親とは1年近くほとんど会話らしい会話がなくなっていました。廊下でたまにすれ違うと、挨拶することなく、陰鬱な空気だけが残りました。

   

しかし、どうにか両親も耐え、強制的に追い出すでもなく、息子の状況を認め、環境を整えてくれていたのです。私は屋根裏部屋の片隅で、結果を出すことで恩返しをしたいと考えていました。

 

・現実の厳しさ

ドラマや映画であればこれらの苦労は報われ、ハッピーエンドになるはずでした。しかし、現実は本当に厳しいものです。ホームページの改善を続けたものの、アクセス数は依然20前後をウロウロとしていました。そして、やはり引き合いは0でした。

 

私は

なぜ引き合いがないのか?

絶望と共に深々と考え続けました。

 

まず検索というのは全国の方がするものです。20人と言っても、東京の講座にこれる範囲の方は多く見積もっても、2割と考えました。実質は4人しかサイトをみてくれていないのです。

 

このアクセス数では勝負にならない

 

それは明確でした。

もっともっとアクセス数を集めることが大事だと考えました。

 

・被リンクというお布施

当日のホームページの順位を上げる方法として、非常に重要だったのが、被リンクを張ってもらうことでした。とにかく当時は被リンクの効果が大きく、

 

リンクをもらうYAHOO上位表示される

 

という単純な方程式が成り立っていました。ただし、リンクというのは簡単に張ってもらえるものではありません。有名人のブログであれば、リンクはもらいやすいのですが、私のようなミジンコサイトにリンクを張ってくれるような奇特な人はいるわけがありませんでした。

 

 そこでひねり出したのが「YAHOOカテゴリ」という救済手段でした。YAHOOカテゴリというのは、YAHOOが実施しているリンクサイトで、5万円を払うと、YAHOOがリンクを貼ってくれるシステムでした。

 

効果があることが有名で、新規サイトはYAHOOカテゴリに登録するのが、王道と言われていました。

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いうなれば孫神様に、お布施を5万円渡すと

 

「ほほう・・・信心深いな・・・感心感心・・・ では順位をあげてやろう」

 

と極楽浄土に連れて行ってくれるシステムだったのです。残り資金25万円の私にとって、5万円を投資するのは身を削られる思いでした。

 

なんで貧乏人が金持ちに搾取されなくてはならないんだ!学生時代に勉強したマルクス資本論が頭をよぎります。

*対人恐怖克服期 怪しさ満点マルクス資本論

 

しかし、それ以外の方法が思いあたらず、私は思い切って5万円のお布施を献上し、YAHOOカテゴリに登録したのです。

 

すると、確かに検索順位はあがりました。うれしいことに「コミュニケーション能力」という単語で100位以内にランク入りも果たしました。世の中金で解決できることは多いと実感しました。

 

  ・受信なし

 YAHOOカテゴリの効果はすごくあり、アクセスは20から40ぐらいまで増えました。1日40人の方が訪れてくれている・・・と考えると勇気が湧いてきました。しかし、やはり引き合いは0でした。

 

 

毎日メールをチェックして

「受信なし」

の文言を見続けると、私の会社は社会に必要とされていないと

拒絶されているような気持ちになります。

 

 

頼みの綱の資金はいよいよ

尽きかけていました。

 

お金がなくなるのは早いものです。

400万円もあったのにあっという間に

なくなってしまいました・・・

 

 

もはやどうにもならない・・・

私はいよいよ追い詰められ、

会社を存続されるため、

アルバイト雑誌に目が行き始めたのです・・

 

 

 

 

 

 

 

対人恐怖症克服期180 起業ニート編  無人島からの脱出

対人恐怖症克服期180 起業ニート編  無人島からの脱出

引きこもりから起業ニートになった私は、コミュニケーション講座を開講することにしました。しかし、お客様が1人も集まらず、資金が30万円近くまで減ってしまいました。追い込まれた私は最後の賭けとして、ホームページを自作し公開しました。しかし、だれ一人もホームページに訪れてくれず、限界まで追い込まれていきました。

 

・YAHOO検索の重要性

当時の日本のネットはYAHOOが圧倒的なシェアを占めていました。webで検索する際に8割の人がyahooを使っていたのです。Google検索はちょっと無骨な人が使うものでした。

そのため当時のWEBビジネスにおいてはYAHOOで検索できるかどうか?が成功するか否かの最大要因だったのです。

 

それにも関わらず私のハリボテサイトはどう検索しても一向にYAHOOで検索することができません。WEBの世界では無人島で商売をしているようなものでした。

 

 

例えば、

「コミュニケーション講座 東京」

 

で検索してみます。私が狙っているキーワードでした。このキーワードを300位まで調べても検索できないのです。

 

YAHOOの社長は孫正義社長でした。孫社長が私の生き死にを握る千手観音としたら、

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                   f:id:direct-comm:20180412193402p:plain←私

    

私は孫社長の足元をうろうろするミジンコのような存在でした。

 

孫さん!

アクセスをください。

アクセスをください。

 

私は踏み潰されないように、バタバタともがいて、どうにか孫さんの視界に入ろうと必死のアピールを続けるのでありました。

 

・ハリボテサイトの改善

そんなミジコンとしての自我を確立させながら、私はハリボテサイトをできる限り改善していきました。 そうして16日が過ぎた日、日課であるアクセス数を見ると、

9月1日  

9月2日  

9月3日  

9月4日  

9月5日  

9月6日  

9月7日  

9月8日  

9月9日  

9月10日  

9月11日  

9月12日  

9月13日  

9月14日  

9月15日  

9月16日 3人

 

 

ん?!

 

ん?!

 

え?!

 

 

は?!

 

 

3?!

 

 

3人?!

 

 

 

 なんと!3人がサイトを訪れていたのです。何度確認しても、3人来ています。この時は飛び上がるほどうれしかったです。数は少ないですが、私が作ったサイトに訪れてくれた人がいる・・・その事実は強烈な勇気をもたらしました。

 

 

さらにYAHOOで注意深く検索をしていくと、かなり下の方ではありましたが、はじめて検索に引っかかるようになったのです。

 

「コミュニケーション講座 東京 受講」

 

これぐらい絞り込むと20位ぐらいに私のサイトが表示されているのです。これは本当にうれしかったです。

 

そうして私はやっとWEBという大海において、どうにか無人島からは脱出することに成功したのです。

  

9月16日 

9月17日 

9月18日 

9月19日 

9月20日 

9月21日 10

 

 その後もアクセス数が順調に伸びていきました。10月を迎えたころには1日20人ぐらい来るサイトになっていました。

 

しかし、いまだ引き合いはゼロでした。20人来てもらっていること確かなのですが、肝心の反応が全くないのです。喜びもつかの間、反応のなさに再び暗雲が立ち込めてきました。

 

 

資金は残り25万円となっていました。

消費者金融からの借り入れが

現実味を帯びてきました。

 

 

ホームページを作成し、

アクセスが発生しても

引き合いがいまだない・・・

 

 

絞り尽くした雑巾・・・

もうこれ以上水滴を絞りだすことができない・・・

 

 

起業して10か月、何1つ成果の出ない現状を鑑みて、

私の呼吸のすべてがため息と化していきました。

 

 

 

 

 

 

対人恐怖症克服期179 起業ニート編  終わらないゼロ行進 

対人恐怖症克服期179 起業ニート編 終わらないゼロ行進 

 

引きこもりから起業ニートになった私は、コミュニケーション講座を開講することにしました。しかし、お客様が1人も集まらず、400万円ためた資金が30万円近くまで減ってしまいました。追い込まれた私は最後の賭けとして、不眠不休でホームページを自作しました。そうしてついに公開ボタンを押したのです。

 

・胸躍るも束の間・・・

私は公開ボタンを押すと早速、会社のドメインをyahooのアドレスバーに打ち込んでみました。すると自作のホームページがしっかり検索できたのです!

 

日本中の人が見ることができんだ!

 

そう思うと胸が躍りました。

それから数日間、

応募がこないか?

今か今かと待ち続けました。

 

しかし、

 

1日・・・

2日・・・

3日・・・

 

と待ってみたのですが、電話1つ、メール1つ反応がありません。チラシを1000部配っても、一切反応がなかった記憶が体中をじっとりと駆け巡りました。

 

素人のホームページでお客さん来るわけないだろ・・・

お前の商売は結局成り立たないんだよ・・

そろそろ諦めたら?・・・

人生終わったな!

 

そう心の奥底でささやく自分がいました。

またしても結果が出ない・・・

もういい加減にしてくれ!

と神様に言いたくなりました。

 

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・アクセス解析

ただ嘆いていても、誰ひとりとして助けてくれません。1人で起業したのですが仲間のフォローなんて一切期待できないのです。立ち止まる=倒産なのです。

 

私は「あきらめろ」という自分の弱い心をどうにか押さえ込みながら、なぜ引き合いがこないのか?分析を続けました。調べてみると「解析ソフト」でホームページに来ている人数がわかるようです。そして早速「解析ソフト」をホームページに導入してみました。すると驚くべきことに、

 

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9月2日  

9月3日  

9月4日  

9月5日  

 

アクセス数が正にゼロ行進をしていたのです。ただの1人も私のホームページを検索していないことに気が付きました。私のホームページはWEBという大海の中で、誰ひとりとして訪れない、無人島のような状態になっていたのです。

 

これじゃあ応募があるわけがない・・

 

私は原因を知って納得しました。同時にまだ読んでくれている人がいないのだから、あきらめてはいけない!と自分を勇気づけました。

 

・無人島状態を打破するには?

私の思考は

「どうすればアクセス数を向上させることができるのか?」

とシフトしていきました。

 

分かったことは、以下の2つでした。

 

① SEO対策をする

アクセス数をもらうにはyahooとグーグルで検索されるように、キーワードの比率を揃え、H1タグ、H2タグ、タイトルタグといったタグをしっかり使う必要があります。例えば、「コミュニケーション能力」で検索をして欲しい場合は、大体3~5%文中にワードを入れる必要があります。これは比較的短期間で実施することができました。

 

② 被リンクをもらう

ブログでリンクを貼ってもらったり、カテゴリサイトなどに登録する必要があります。こちらは苦戦しました。リンクを貼ってくれるような友達もいなかったですし、カテゴリサイトも有料のものが多く二の足を踏んでしまいました。

 

 

私はひとまず、①を試し、②はとりあえず保留して、再びホームページのアクセス数の動向を探ることにしたのです。

 

しかし、結果は残酷なものでした。

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9月4日  

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9月7日  

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9月9日  

9月10日  

9月11日  

9月12日  

9月13日  

9月14日  

9月15日  

 

私のホームページは大海の無人島のままでした。日々続く訪問者0の表記を眺めながら、私はふとロビンソンクルーソーを思い出しました。

 

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・ロビンソンクルーソー

自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗り(ウキペディアより引用・一部改変)

**************

 

ロビンソンクルーソーの話を私は大好きでした。小さな頃、何十回と繰り返し読んだ本でした。私はまるでインターネットという得体のしれない世界でロビンソンクルーソーのような気持ちになっていました。

 

 

ロビンソンクルーソーは

28年もたった1人で暮らしたんだ。

たったの15日で音をあげてどうする!

 

 

意味不明な認知療法で、私はどうにか強引に自分を奮い立たせ、ひたすらホームページの改善を続けました。そうして16日目に・・・

 

やっとやっと

 

1つの光明が差すのです。