川島ブログ 

コミュニケーション能力に関するブログを書いています。筆者は元引きこもり、ニート、現在はダイレクトコミュニケーションの講師をしている川島達史です。

コミュニケーション能力-講座の軌跡193 あがり症編 トイレへプリズンブレイク

コミュニケーション能力-講座の軌跡193-あがり症編

 

元引きこもりの私は、25歳の頃に400万円を貯め、コミュニケーション講座を開催することにしました。

 

講師デビューは吉祥寺にある、ダンススタジオでした。鏡張りの部屋で出来立てホヤホヤ。吉祥寺らしいおしゃれな作りになっていました。

 

 

会場に着くと

「こ、ここが会場です」

と、ひきつった表情でメンバーに伝えました。

 

お茶会で少しだけほぐれた空気も、会場に着くと途端にプレッシャーが襲いかかってきました。

 


会場を整えていると、お茶会に参加しなかった生徒さんも続々と増えていきました。最終的に初回の講座に7名いらっしゃいました。男性6人、女性1名でした。

 

 

円を作るように座って頂き、教材を配り終えると、まだ10分近くありました。

 

すると・・・

どこか違和感のある空気が流れ始めました。

 

 

生徒さんは誰一人として会話をすることがなく、気まずい沈黙が会場を包んでいたのです。

 

 

経験を積んだ今であれば、軽く雑談をして当然のようにアイスブレイクとをするところなのですが、25歳の私は、いっぱいいっぱいになっていました。

 

 

どうしよう・・・どうしよう・・・

 

 

心臓がバクバク異常な速さで動いていることがわかります。シーンとした重苦しい空気はどう考えても「楽しいコミュニケーション」にそぐわない空気感です。

 

そのシーンとする空気はそのまま私へのプレッシャーとなします。(おいおい先生なんだろ・・・この空気なんとかしてくれよ・・・)そんなことを思われている気がしました・・

 

心臓のバクバクはこれまでにない、強さになっていきました。

 

 


冷静にならなきゃ・・・

 

もう始まるんだぞ! 

 

 

やばいよ・・・

 

もう生徒さん来てるんだぞ・・・

 

 

あれ・・・

 

やばい・・・

 

身体がおかしい・・・

 

汗が止まらない・・・

 

倒れるかも・・・

 

 

 

 

 

冗談抜きで気絶する!!

 

 

 

異常を感じた私は、

 

 

「ちょっとトイレへ・・・」

 

 

と小ささな声で告げ

 

 

 

なんと初めての生徒さんを

会場にほったらかしにして、

トイレにプリズンブレイク

してしまったのです!!

 

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡194 あがり症編 懊悩

 

 

コミュニケーション能力-講座の軌跡192 あがり症編 はじめての生徒さんと共鳴

コミュニケーション能力-講座の軌跡192-あがり症編 はじめての生徒さんと共鳴

 元引きこもりの私は、25歳の頃に400万円を貯め、コミュニケーション講座を開催することにしました。緊張MAXで迎えた当日、事前お茶会の会場に着くと、外から中をうかがう男性がいました。

 

 

その男性は色白で背が高い方でした。

 

ああ・・・生徒さんだ!

 

と直感しました。

 

つつつ・・・ついに生徒さんが来た・・・!!

 

どうしよう・・・!!

 

 

 頭の中は緊張と嬉しさでわけのわからない状態になっていました・・・

 


生徒さんはキョロキョロしながら、私を見つけました。そして少し微笑みながら喫茶店に入ってきました。

 


川島
「こ、こ、こ、こんにちは・・・・今日講座にご参加の方ですか?」

 


Hさん
「そ、そ、そ、そうです。はじめまして。」

 


川島
「は、は、は、はじめまして。川島です。今日はよろしくお願いします。」

 

Hさん
「よ、よろしくお願いします・・・」

 

 

こんな感じで、やり取りがはじまりました。

 

 

1人目の生徒さんは、とても笑顔が優しい方でした。穏やかな方で、安心しました。Hさんと、3分ぐらい談笑すると、少しだけ緊張がほぐれたように感じました。

 

 

Hさんと少し話していると、同じようにキョロキョロと仲を伺ってから、続々と生徒さんが輪に加わっていきました。

 

 

最終的に4名の方が講座前にお茶会に参加してくれました。全員男性でした。

 

・Hさん

IT系  笑顔が穏やか 
・TKくん

学生さん。ダイコミュでバイトをすることに 

・TOさん 

控えめなイケメン。後にダイコミュのイベントなど率先して企画してくださる

・Kさん  

IT系 仕事できそう!知的な方 後にダイコミュの携帯電話のサイトの試作をしてくれる

 

年齢層は20代の方が多く、私と3歳前後の方ばかりでした。

 

 

(実はこのお茶会に参加してくださった4名のうち3名が、その後ダイコミュを手伝ってくれるようになります。この時は想像すらしていませんでした。このお話は続編でお伝えします。)

 


緊張していたので、ほとんど何を話していたか覚えていませんでしたが、表情が絶望的に硬かったことは覚えています。

 


多分生徒さんから見て
「え??まじでこの人が先生!?
というような気持になったと思います。

 

 

私から見た生徒さんの印象は
「私と似ている」
というのが基本にあったと思います。対人恐怖は共鳴すると言いますが、どこか同じ波長がある気がしました。

 


お茶会は決して盛り上がったとは言えませんでした。私も含め、お茶会は周りからみればどこか陰鬱な集団に見えたと思いますが、それでもどこか同質性があり、緊張の中にも妙な安心感があったと思います。

 

そうしてお茶会の時間が過ぎると、いよいよ講座の時間が迫ってきました。

 


「そろそろ時間ですね・・・
 会場に向かいましょうか。」

 


私はそう告げると、初めての生徒さんと一緒に吉祥寺の会場に向かったのです。

 

 

喫茶店でいくばくかほぐれた緊張が一気に、襲い掛かってきました。

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡193-あがり症編

 

 

 

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私川島達史は元引きこもりニートです。対人恐怖の克服体験、起業について執筆中です。対人恐怖の克服、どうして引きこもりがコミュニケーション講座を創ったのか?興味がある方は是非ご一読ください。


・軽度対人恐怖時代    1~32
・引きこもりピークに   33~56
・フリーター時代     57~82
・2年間の会社員時代   83~128
・起業ニート時代     129~187

 

コミュニケーション能力-講座の軌跡191 あがり症編 緊張MAX講師

コミュニケーション能力-講座の軌跡191-あがり症編 緊張MAX講師

 

元引きこもりの私は、25歳の頃に400万円を貯め、コミュニケーション講座を開催することにしました。しかし、極度のあがり症である私は、事前練習で、声が震え、とてもではないですが講義ができる状況ではありませんでした。

 

 

それでも時間は進んでいきます。気が付けば、講座の初日

を迎えてしまいました。緊張で全く眠ることができませんでした。私は緊張しながら身支度を整えました。その間、どこか現実感がありません。

 

 

怖い怖い・・・

逃げたい・・・
どう思われるのだろう・・・

 

 

講義をして失敗するイメージが頭をよぎり、心臓が狂ったようにどきどきしていきました。

 

 

集合時間は12時に吉祥寺の喫茶店でした。

 

 

私は緊張のあまり、いてもたってもいられず、8時には家を出てしまいました。

 

 

家を出ると私は国分寺から吉祥寺行の電車に乗りました。休日だからか乗客はあまりいませんでした。

 

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初日はとても天気が良く、ポカポカと丁度よい暖かさでした。電車の適度な振動が心地よく、ふわふわとして現実感がありません。

 

 

私はどうも重要な日には天気に恵まれるようです。人生の重要な日は大体晴れだった気がします。

 

心地よい電車に揺られていると、いくばくかの使命感のようなものが出てきました。

 

 

もう私には退路がないのでした。ここで逃げたらもう本当に人生が終わるのです。あがり症だろうが、対人恐怖だろうが、「目的」があるからその目的に進むしかなかったのです。

 

 


吉祥寺につくと、さっそく予約していた喫茶店の前まで行きました。11時から開店だったのでまだ開店していませんでした。開店まで2時間以上あります。

 

 

私は、井之頭公園まで歩き、公園のベンチに腰掛け、ぶつぶつと講義内容を思い出しながら、時間をつぶしました。

 

 

しかし、講義の練習をしても、しっくりきません。心がどこか漂っていると言いますか、私が、私でないような・・・・不思議な感覚でした。

 

 

時間は11時になりました、私はさっそくお店にはいりました。集合の12時まで1時間もあります。

 


椅子に腰かけると背筋をピンと伸ばしました。起業を決意して10年、やっとここまで来た・・・と実感しました。

 



そうしていよいよ、11時50分ぐらいになると私の緊張はMAXになっていました。 

 

ついに初めての生徒さんが来る!!!

 

誰もいないのに顔が真っ赤になっていることがわかりました。頭が真っ白になりかけていると・・・

 

 

お店を遠くからうかがっている男性が
いることがわかりました。

 

 

それはダイコミュへ来た

はじめての生徒さんでした。

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡192-あがり症編 はじめての生徒さんと共鳴

 

 

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当ブログを執筆している川島達史は
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コミュニケーション能力-講座の軌跡190 あがり症編

コミュニケーション能力-講座の軌跡190 あがり症編

元引きこもりの私は、25歳の頃に400万円を貯め、コミュニケーション講座を開催することにしました。1年近く生徒さんが集まらず、資金が枯渇してしまいましたが、土俵際で生徒さんからの応募をもらったのです。 

 

しかし、試練は続きます。直前になると、プレッシャーから私は対人恐怖を再発してしまったのです。

 

・応募が増える度にプレッシャーが増す

コミュニケーション講座が1週間前になると、生徒さんの応募は6人まで増えていました。応募数が増えることはとても嬉しかったのですが、同時にプレッシャーも増えていきます。

 

ああ・・・応募があった・・・助かった・・・

応募してくれた生徒さんありがとう・・・

        VS

兄1人に講義をするだけでも緊張するのに・・・

これ以上増えたら、気絶してしまう・・・

もう嫌だ・・・逃げたい・・・

 

嬉しい感情と、逃げたくなる感情が心の中で相撲を始めるのでした。

 

そして日程が近づくにつれ、逃げたい感情が押し切る形で私の心の中は埋め尽くされていきました。

 


私は、このまま講義することは不可能であると、認めざるをえない状況になってしまいました。どうイメージしても、緊張で固まり、講義が崩壊することは明らかでした。

 

多分このまま講義をしても、生徒さんは全員辞めてしまうだろうと直感していました。

 

しかし、しかし、しかし・・・

 

それでも講義をやめることは絶対にできません。

 

多分ここで逃げてしまったら、もう自分は自分を一生信じられなくなると感じていました。

 

 

行動療法ではスモールステップの精神を大事にしています。まずは気絶することからはじめよう・・・などと、自虐的に自分を慰めていました。

  

 

・「事前お茶会」を思いつく

私はどうにか、講義前に緊張を解くことができないかを考えました。熟考した結果、「事前お茶会」が良いのではないかと考えました。

 

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いきなり講義に入ると緊張してしまうので、先にお茶会をすることで少しでもアイスブレイクをしようと考えたのです。これは妙案であると感じていました。

 

緊張がほぐれることはもちろん、生徒さん自身も仲良くなるかもしれないですし、コミュニティもできるかもしれない。

 

そうだ!お茶会をすれば、少しは緊張が解けるだろう!

 

私はいくばくかの希望の種を見つけました。そしてお茶会の場所を探すと、ちょうど吉祥寺の会場の近くに、こじんまりとした喫茶店があることがわかりました。

 

・初めてのお茶会メール

私はお茶会、開催の旨を生徒さんにメールをしました。

 


「皆さんこんにちは。いよいよ今週から講義がはじまりますね。初回は緊張しがちだと思いますので、講座前にお茶会をすることにしました。もしよろしければこちらに1時間前にいらっしゃってください。」

 

 


こんな内容だったと思います。

(誰よりも緊張しているのは僕だ!)

と心の中で自分に突っ込みを入れました。

 

 

メールをするとすぐに

「お茶会参加します!」

と返信をくれる生徒さんがいました。

 

 

結果的に、4名の生徒さんが参加してくれる旨をくださいました。私は、いきなり講義に入らなくてよいということから、わずかばかりほっとしました。

 

 

 

そしてついにその日がやってきてしまいました。

 

 

 

この講師デビューの日、私は一生忘れられない、

強烈な失敗をしてしまいます。

そしてその失敗から多くを学ぶことになります。

 

 

 

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コミュニケーション能力-講座の軌跡191-あがり症編 緊張MAX講師

 

 

 

 

コミュニケーション能力-講座の軌跡189 あがり症編 人前に立つという恐怖の仕事

コミュニケーション能力-講座の軌跡189 人前に立つという恐怖の仕事

元引きこもりの私は、25歳の頃に400万円を貯め、コミュニケーション講座を開催することにしました。1年近く生徒さんが集まらず、資金が枯渇してしまいましたが、ついに、はじめての生徒さんが応募してくれたのです。

 

・コミュ力低下

私は来る1か月後の講義に向けて本格的な準備をはじめました。しかし、ここで大問題があることを自覚させられたのです。

 

それはコミュ障再発という問題でした。

 

私はとにかく生徒さんを集めるために、ホームページ作りに没頭していたために、3か月あまりほとんど人と話していませんでした。

 

・講師デビューなんてとんでもない状況

私は、対人恐怖とうまく付き合えるようにはなっていましたが、治ったわけではありませんでした。そもそもこの病は治るというものではなく、いつでもむくむくと沸き起こるものなのです。

 

私は、今でこそ告白してしまいますが、当時とてもではないですが、講師としてデビューできる精神状況ではありませんでした。

 

お金なし

経験なし

失敗すれば廃業

対人恐怖 

相談相手なし

 

 

こんな崖っぷちの状況で、

 

明るく、楽しく、笑顔で!

 

なんてストレオタイプ的なコミュニケーション講座の講師としてのデビューできるわけはなかったのです。講義の日程が迫れば迫るほど、酸素がどんどん薄くなるような錯覚を覚え、窒息しそうになっていました。

 

私にはあまりの恐怖に喫茶店のアルバイトを直前でバックレてしまい、迷惑をかけてしまったという悪しき実績がありました(バックレた時のブログはこちら)。自分の講義でそれをしてしまったら、それは人生の終わりを意味します。そのトラウマも自分を苦しめました。

 

・練習を再開する

気が付けば、人と会話をするにも声が出ず、極度に緊張しやすくなっていることに気が付きました。コミュニケーション講座の講師をするのに、対人恐怖症が再発していたのです。

 

私はもがくように毎日6時間程度、講義の模擬練習をすることにしました。引きこもりの時と同様、アイドルの写真や、漫画のキャラクターを拡大コピーして並べ10人程度に講演しているような風景を作って練習しました。

 

1週間程度でわずかばかりカンを取り戻したのですが、やはり漫画や写真だとどうも、動きがなくて単調になってしまいます。

 

・兄貴を練習台にして模擬講義

そこで私は、実家に帰ってきていた兄を捕まえ、観客になってもらって、練習をしました。雑誌相手に練習を重ねる分には、問題なかったのですが、いざ兄を前に講義をしようとすると「あがり」が全身を支配していきます。

 

兄を目の前にすると、頭と体がフリーズしてしまい、第一声が全く出てきません。あがりというのは本当に迷惑な体の仕組みです。ご先祖様はどうしてこんなはた迷惑な体の仕組みを私に遺伝させてしまったのだろう・・・と嘆きました。

 

実際、私は身内の兄が1人いるだけで、私は緊張で声が震え、うまく講義ができません。応援してくれた兄も、こいつ大丈夫か?という表情でした。

 

・人前に立つという恐ろしい仕事

コミュニケーション講座というのは講師にとって非常にプレシャーが大きいことがわかりました。

 

以前の会社は環境系の会社だったので、「環境計測機」という商品がありました。ホテル業であれば「客室」「食べ物」というサービスがあります。

 

しかし、コミュニケーション講座というのは、何一つ、提要する物理的なサービスはないのです。あるのは「コミュニケーション」しかないのです。人前に自分という人間をさらし、そして納得してもらえる講義をしなければ、すぐに生徒さんはやめてしまうだろう。

 

 

しかし、時間は止まってはくれません。

 気が付けば講座まであと1週間を切っていました。

 

 

どう考えても今の心理状況ではまともな

講義ができるわけがない・・・

 

 

そう確信を深めていきました。 

 

 

 

次のコラム

コミュニケーション能力-講座の軌跡190 あがり症編

 

 

コミュニケーション能力-講座の軌跡188 あがり症編 「9000円の入金に震える」  

コミュニケーション能力-講座の軌跡188-あがり症編 「9000円の入金に震える」

 

久しぶりにシリーズものを再開します♪「コミュニケーション能力-講座の軌跡」と改名しました。引き続きよろしくお願いします。

・これまでのあらすじ

対人恐怖を発症し、引きこもりとなった私は、トイレすら行けなくなりました。その後心理療法と出会い,どうにか回復しました。

講座の軌跡37 屋根裏部屋へ追い込まれる

 

回復後は、半年間フリーター生活をした後、就職活動をしました。2年間、会社員となって仕事をした後、独立する決心を固め、コミュニケーション講座を開講することにしたのです。しかし、実態は起業ニートでした。

151 起業ニート編 パワー系講座に突っ込む

未経験の私は結局1年近く、お客様に来てもらえませんでした。挙句の果てに自己啓発セミナーやホームページ業者にボッタクリされ、400万円あった資金は10万円前後まで枯渇してしまいます。消費者金融まで追い詰められた私は、最後の賭けとしてホームページに資金を投入し続けました。

 

そこで奇跡が起こり、「google検索で、コミュニケーション能力1位を獲得したのです。」そしてついに「コミュニケーションで悩んでいます。受講できますか?」というはじめての応募を頂いたのです。

 

・9000円と得体の知れない恐怖心

はじめての生徒さんから応募を頂いた私は、嬉々として、「ぜひお待ちしています!」というご案内のメールを送りました。その生徒さんはまさか自分が講座第1号だったなんて夢にも思っていなかったと思います。ましてメールの向こう側で私がガッツポーズしているなんて想像すらしていなかったでしょう。

 

私は丁寧にご案内のメールを送りました。

(本当にありがとうございます・・・)

と感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

そうして、その3日後・・・

 

ついに9000円の代金を銀行口座に振り込んで頂いたのです。25年生きてきてはじめて、いただいた売上でした。人生はじめての売上は感慨深いものです。多分全ての起業家が忘れられない瞬間なのではないでしょうか。

 

やっとスタートを切ることができた・・・
じんわりとした喜びに包まれていました。

 

しかし、通帳を眺めていると、だんだんと自分の中で、得体のしれない恐怖心がどんどん膨らんでいることに気が付きました。その恐怖心はさっきまでの幸福感を十分すぎるほど凌駕するもので、心の中をあっという間に覆いつくしていきました。

 

・生々しい代金

9000円という金額は私にとってとても高額でした。なんせ残り資金10万円しかないわけですから、いきなり資産が10%も増大したのです。通帳に打刻された9000円という数字は強烈でした。

 

アルバイトをしていたころは、9000円を稼ぐために、10時間近く皿洗いをしなくてはなりませんでした。9000円は何百枚もお皿を洗ってやっと手にすることができたお金でした。

 

会社員として働いていたころは、会社から「給料」という形でお金をもらっていました。給料はどこかふわふわしたものでした。もちろん嬉しいものでしたが、お客様から直接もらうものではなく、会社から間接的に頂くものでした。

 

 

しかし、独立してからは「個人名」で直接振り込まれるわけです。

「ヤマダ タロウ 9000円」

という打刻を見ると、きっと山田さんにとって、この9000円はとても本当に重いお金なんだな・・・とすごく実感しました。

 

 

9000円の価値を

生徒さんに提供できるのだろうか?
がっかりされて

講座1回で全員辞めてしまうのではないか

 

 

凄く怖くなってきました。

 

コミュニケーション能力で1位を取ってから、3日に1度程度、申し込みをもらうようになっていました。1人、1人と生徒さんからの応募が続くたびに、嬉しい反面、私の恐怖心はますます増大していきました。

 

 

 しかし、講座の開催日は刻一刻と迫ってきます。

 

 

そして、実際に講座を行うことになるのですが

私は人前に立つことを仕事にする恐ろしさを

これでもかと味わい尽くすことになるのです。

 

 

 

 

次のコラム

コミュニケーション能力-講座の軌跡189 人前に立つという恐怖の仕事

 

 

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夏とトラウマ

夏とトラウマ

 

私は中学時代、野球部に所属していました。練習をしっかりやる部活でした。週6ぐらいで毎日夜遅くまで練習していました。

 

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んで・・・夏休みの練習は特に地獄です。

 

 

なぜなら、夏真っ盛りの炎天下の中、外野ノックをひたすら受けることになるからです。この外野ノック「アメリカンノック」と言って、ライトからレフトにダッシュをしながらノックを受けるというものでした。

 

野球をやったことがある方ならわかるかもしれません、普通ライトにいたら、ライトに球がとんできますよね。

 

しかし、アメリカンノックは、なぜかライトにいるのにレフトにノックをするのです。それをライトからダッシュで取りに行かなくてはならないという、理不尽なノックだったのです。

 

全くもってどこにアメリカの要素があるのか??

 

当時、中学生の私には皆目見当もつかなかったのですが、とにかく私は夏の間中このアメリカンノックの餌食となっていました。いまだに夏が来ると、あのノックの感覚が体中をかけめぐるのです。

 

野球部の服装はなぜか夏でも厚着です。ケガ防止で分厚い靴下を2枚履きます。私の中学時代の野球グラウンドは、ペンペン草一枚生えない、硬い砂でできていまして、ほぼ硬い干ばつ地帯のような状況でした。

 

その干ばつ地帯を分厚い靴下で、かつ野球部特有の全く柔軟性のない、硬いスパイクで疾走しなくてはならないのです。

 

当時の東京はまだ排ガス規制がなく、光化学スモッグで空気が非常に悪く、酸素が1/2になったかのような錯覚を受けるような感覚がありました。マジで空気が薄かったです。

 

さらにノック中監督から褒められることはなく、罵倒されながら、その罵倒に耐える精神力が試されます

 

なぜか「水を飲むと余計疲れる」という、謎ルールも萬栄していました。休み時間に水をがぶ飲みしようものなら先輩に、「水飲んでんじゃねーぞ!」というインドの修行僧も真っ青なありがたい説法をくらうのでありました。

 

 

・35℃で厚着
・ほぼ砂漠
・光化学スモッグ
・水(あんまり)飲んじゃいけないルール
・意味不明なノック
・監督からの罵倒

 

 

という修行を1時間ぐらい繰り返していたおかげで、私は「アメリカン〇〇」というネーミングのものがひたすら怖くなってしまったのでありました。

 

例えば、アメリカンドックは味は好きなのですが、ノックを思い出しながら食べるので、おいしさが半減してしまうのです。コーヒーのアメリカンなんて、怖くてしょうがありません。

 

 

そういえば、今監督をしていたI先生は風のうわさで教頭先生をしているそうです。今でもI先生は、アメリカンノックを続けて、若い脳に、「アメリカン〇〇恐怖」を植え付けているのでしょうか。

 

そんなことが気になる今日この頃でした。

 

 

 

 

*当ブログは愛情を込めて書いております
 25年前ぐらいはわりと普通でした
 I先生への苦情はご遠慮ください笑